2017年3月14日火曜日

「服従」という本を読んで


ミシェル・ウエルベック著の「服従」という本を図書館から借りてきて読んだ。抑揚?のない書き方で書かれているので読みづらかったが流し読み的に読んでしまった。

「服従」は2022年にフランスにイスラム政権が誕生するという近未来小説で、主人公はフランスの若き大学教授である。フランスという国は俗に言うジェンダーフリーの国なのか性的な事に関してはオープンなようである。恥を知る国では隠されているものがオープンに書かれている。しかし、この作家だけなのかもしれないし日本の小説でもエログロは別にしてもオープンに書いているものもあるのかもしれない。

出だしは主人公の身の回りのこと、日常の生活がことが淡々?と長々と書かれている。途中から突然のように大統領選挙のことが取り上げられてくる。最終的な大統領選挙で暴力的な極右政党か穏健なイスラム政党かとなった時に国民は暴力的な極右政党を嫌って穏健なイスラム政党を選ぶ、結果は静かに大学は変革されていき大学の教授はイスラム教徒で無ければならなくなった。教授の職を辞さなければならなくなり、後にカトリック教徒として生きようとしたが最終的にはイスラム教に改宗して大学教授の職を再び得る。大学の教授に戻りたいために改宗したというよりも改宗することはそれ程大きな問題ではないと認識して決断する。そうすれば大学の教授の職も得ることが出来るそんな感じを受けた。知的階級?の政治に対する無関心無力さをそして退廃的な精神を感じた(文学部教授という世界からか?)。勿論フランスがそうであるというのではなくあくまでも小説の中でのことである。小説の中でイスラム化していくフランスの危惧を伺い知ることはなかった。緩やかに変化していく中で、人々が気がついた時には戻ることの出来ない状況になってしまうのだろう。かつての日本とドイツナチスがダブる。

今ヨーロッパでは難民が問題になっている。彼ら難民はヨーロッパに経済的民族的にと色々問題提供をしている。自分に都合の悪い者たちを追い出して難民化させるのかあるいはヨーロッパを弱体化する意図から難民として送り出しているのかわからない。人道的支援と叫ばれる中で善意が前面に出ている。それは悪いことではないがその大きな動きの背後に「空中の権威を持つ支配者」を感ずる。小説本来から逸脱しているのだろうが若き大学教授の大学がイスラム化して行く中で危機感を持つことなく実に退廃的な発想に終始している姿にガクっとくる。終末に生きる一キリスト者としてだからだろうか。