2017年4月17日月曜日

すべてに時が



eccles 3: 1-2a
「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」
時期― 一定の期間、 時―短い期間

私たちの人生は

誕生―幼児―学生―社会人―老人―死

の流れの中にあります。
人の時は
生まれた時代、置かれた環境、
男か女かによっても違ってきます。

また
社会や国や世界も時代によって違ってきます。
盤石と思われていた共産主義もベルリンの壁も時が来れば…。


それと
クリスチャンだからと言って、必ずしも恵まれた状況の中に置かれるとは限りません。

悲しいことや苦しいことがあっても聖書は言っています。

eccles 3:11
神のなさることは、すべて時にかなって美しい。… と
この言葉を信じることが出来るでしょうか?
私たちにはこの問題、あの問題がなければ
どんなに心が軽やかになるだろうというものを抱えています。

でも
rom 8:28
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、

神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」
現実が何ひとつ変わらない中で、このみことばを信じることはそう簡単なことではありません。

しかし
状況が変わらなくとも神の約束を信じるとき、益としてくださることが現実となります。

john 11:40
「イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」」…と。
信じなければ何も変わりません。
宝くじは
買わなければ当たる可能性はありません。
しかし
不可能に限りなく近くとも
買いば当たる可能性はあります。
ある意味で
世の中の希望は
このようなもので儚いものです。
主の約束は
john 11:40
「イエスは彼女に言われた。「もしあなたが信じるなら、あなたは神の栄光を見る、とわたしは言ったではありませんか。」」
現実は何一つ変わらないようでいても
「時」が来た時に答えを見いだすでしょう。
生きてそれを見ることができないかもしれませんが。