2017年4月30日日曜日

この頃


最近は午前中は朝食を挟んでデボ―ションに「この日を主とともに」を読み、祈り、そして聖書を4章前後をゆっくり読んでいる。創世記、出エジプト記、レビ記と進み今民数記を読んでいる。出エジプト記の後半は幕屋について書かれているが大雑把なイメージは出来るが細かいところになると分からなくなる。私の神理解に準じたものと自分に納得させている。レビ記も似たような理解だがこの律法がイエス様の時代の律法学者やパリサイ人とダブらせると少し暗い気分になるがイエス様は、
matt: 5:17
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
とおっしゃった。
主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。
とある。人には守れないことなのであろう。律法は本来このようなものであろうが肉は簡単にいのちを失して言葉だけが残る。聖書を手にする者、私も心しなければならないことである。