2017年4月4日火曜日

今月のみことば


「イエスは涙を流された。」
ヨハネの福音書11章35節

『素顔同盟』という短編小説がある。近未来、すべての人が笑顔の仮面をつけないと法律によって罰せられる時代が到来した。怒りや悲しみ、喜びなどの表情が、人間関係によくない影響を与えるから、というのがその趣旨である。◆学校では先生も生徒もみな「笑顔」である。一見したところ、社会もそれで大変うまくいっているように思いえる。衝突や争いは回避されたかのようにであった。◆ところが、主人公は、自分の本当の気持ちを表すことができなこの状況に、言い知れない空しさとフラストレーションを感じていた。◆そんなある日、市街地の対岸にある自然保護公園に出かけた。すると、小川の向こうに立っていた少女が、驚いたことにゆっくりと仮面を外し、素顔を出したのである。美しい少女だった。しかし重大な法律違反であった。◆そのころ、学校でうわさされていることがあった。「素顔同盟」という一団があり、仮面を外し、社会や警察から逃れて川の上流の対岸の森の中で、素顔で暮らしているいう。◆ある日同じ場所に行ってみると、前を流れる川に、一つの仮面が流れてきた。拾い上げてみるとあの少女のものであることがすぐに分かった。少年は意を決して、「素顔同盟」の人々の住む場所に向かって歩き始めた。もはや迷いはなかった…。◆「人はみな主を必要としている」(People Need the Lord)という歌もまた、この「仮面」についてふれている。「どこにいくのか知らないままに/歩き続ける人びとの/笑顔の下の悲しみは/主イエスだけが知っている」◆若くして死んだラザロが葬られて四日後、イエスはその村に到着されえた。そして嘆き悲しむ人々を見て、ご自身も涙を流された。その直後、ご自分でラザロをよみがえらせるのに、涙を流したのである。◆イエスは私たちのこころを完全に理解してくださるばかりでなく、完全に共感してくださる方である。イエス・キリストを知ったとき、はじめて私たちは仮面をつけないでもいい方と出会う。その出会いこそが、生きる力の根源となることを聖書は証ししてやまない。

長野キリスト集会 月報 4月号より

追記
今回は珍しく指がスムーズに動いた。文章の所為か?間違いと変換のミスは数カ所だけだったが原稿を読んで打てると言えるまでにはほど遠い。それでも今回は誉めてあげたい。