2017年6月23日金曜日

愛するということ


列王記第一の三章の後半に大岡裁きではないがソロモンの優れた裁きのことが記されている。内容は一緒に住んでいる二人の遊女が同じころ子供を出産した。二人の遊女をA、Bとしておこう。Aは寝ている時にうっかり赤ん坊の上に伏して死亡させてしまった。ところがAは自分の赤ん坊とBの赤ん坊とすり替えてしまったのでBはソロモンに訴えたのである。訴えを聞いたソロモンは部下に剣をもって来るように命じて、その剣で生きている赤ん坊を真二つにして分けて与えるように命ずる。それを聞いたBは自分の子を哀れに思って、生きている子をAにあげてください。決して殺さないでくださいとソロモンに懇願する。するとソロモンはその子をBに与えなさい。決して殺してはならないと宣告する。

一読すると乱暴な裁きだと思われるがソロモンは生きている赤ん坊の母親がどのような態度をとるかよくわかっていたのであろう。

母親の愛情は自分に不利益になっても赤ン坊の最善を尽くす。愛は決して人を殺すことはなく人を生かすのである。それと時には他者を生かすために自ら不利益を受けることもがある。時には死を選択しなければならない。ソロモンの裁決に異を唱え、赤ん坊を生かしてくれるように懇願したBは死を覚悟したであろう。しかし、Bはそれ以上に我が子を生かしてくれる道を選んだ。

この見本最高はイエスさまである。ご自分の死を通して私たちを生かしめてくださった。そして「私」が生きているのではなく、生かされているのである。心しなければ…。