2017年6月23日金曜日

愛するということ


半世紀前以上の話だが中学二年の時に週一時間のソロバンの時間が有った。ソロバンには加減と乗除と暗算があって授業の最後にこの順序で試験があり、ソロバンだけではあるが次の週の席順がこれで決まる。私は加減は上の方で乗除は真ん中、暗算は全く駄目でビリから何番目というものだった。暗算は先生が頭の中にソロバンを置くのだと言われてもどうやって置くんだよと内心思ったことを今でもよく覚えている。自分の実力は暗算クラスかなと思っていたので読み上げ算と掛算割り算の時は答えが出来ても言わずに暗算で勝負をしていた。と言っても残っているのはクラスの1/3以下、後数名というところで勝負をしていたのである。同じソロバンでも計算する種類によってこうも違うのである。

先日、以前いた集会の二組のご夫婦が訪ねてくださった。二十代後半からの付き合いであるから半世紀に渡る付き合いである。家族ぐるみ的な付き合いであり、今は集会の責任からも解放されて、側面から集会を支えている兄姉たちである。昨年の秋に来る予定だったが寒いから春にとお願いし、その春もまだ寒いからとようやく実現した。キリスト者としてどうやって生きているのかなと心配して来てくださったと推察している。感謝なことである。集会の兄姉とも交わっていただいて私たちは付け足しみたいな感じになってしまったが逆に嬉しいことだった。

同じころに前後して結婚して、彼らのどちらも姉妹たちは健康がすぐれないこともあるのかもしれないが兄弟は姉妹に対して優しい。「キリストの香り」をかぐ思いである。それに引き換え私は欠けることの多いことを示された。反省はサル(私もサルだが)でもできるからやらないが教えられること大である。ゆうなれば同じ愛すると言っても彼らは読み上げ算のようであり、私暗算クラスなのであることを教えられた。こればかりは努力してできるものではなく、長年培ってきた夫婦の絆、それに御霊の働きなしでは可能とならない。

家内の一言でイラつき、時には声を荒げてしまう。これが実に些細な事なのである。彼らに見習ってと思うがそう簡単にできるものではない。お互い欠け過ぎるものが多いということでもある。私たちにない彼らの穏やかさを見ていると「キリストの愛」を学ばなければと思わされている。でも出来ていないということは出来る可能性を含んでいるということでもあるからそこに向かって行きます。姉妹たちの健康、遠い距離はそう簡単に来れそうもないがまた来てくださることを願っている。それまでに私たちも成長できればと…。宿題を抱えさせられて…。