2017年8月4日金曜日

A・P・ギブス


前回に引き続きジム・ウオリスの本からA・P・ギブスの人となりを彼が子どものころに受けた印象を記して見る。
「わが家はしばしば、巡回して町にやってくるリヴァイヴァリストたちを迎え、歓待した。ぼくが大好きだったA・P・ギブスという巡回説教者が、ぼくの家で食事をとりベッドで休んでいった時のことを覚えている。彼が到着する前に、母はぼくたちに食事の作法についてこと細かに教え込み、行儀よく振る舞うようにと注意した。ぼくたち子どもは、その偉大な説教者がやってきて食卓についた時はおそろしく神経質な状態になっていたが、「天国の最も上品で福音的な天使たち」として振る舞うという困難きわまる役割に挑戦した。
A・P・ギブスは、口ひげをはやした恰幅いいの男だった。彼は、まるでずっと昔からそこが自分の場所であったかのように落ち着いた様子で食卓についた。ぼくたちは彼の動作のひとつひとつに注目した。
彼は、食卓の真ん中に置かれた器にブドウが盛られているのを見ると、ぼくたちにウィンクしてから、ひとつかみばかり取り上げ、そのブドウを一つずつ宙に弾き飛ばし始めた。ぼくたちの目はフドウに釘付けにされた。それが弧を描いて落ちていき、偉大な説教者の口の中に納まるところを目撃した。見たことを信じられぬ思いでぼくたちは目をいっぱいに見開いたまま、素晴らしい技術に驚き入ってしまった。それから彼は、「君たちもやってみないか」ときいた。
まもなくぼくたちは、ブドウを宙に飛ばし始めることになった。そして、それが口の端を転がり落ちて床に落っこちるのを、眺めたり笑ったりした。ほとんどの場合、ブドウがぼくたちの口の中に入ることはなかった。哀れにも母は、この夕食の席が偉大な説教者と子どもたちの歓声に包まれ、最後にはまわりじゅうブドウが散乱し、器にはブドウの枝が残るだけという有様でめちゃくちゃになってしまったのを見ても、ただ笑うことしかできなかった。
よそからやってくる説教者については、そのすべてが、特にその特異な性格が魅力的であった。A・P・ギブスの場合は、その中でも格別だった。ぼくは彼が、半熟のゆでタマゴを自分の卵立てからじかに食べていたことを覚えている。それはぼくたちが今まで見たこともなかった食べ方で、例のブドウの時のように特別な技術でタマゴを扱ったのである。ぼくたちがあまりにそのやり方に魅了されてしまったために、彼は練習用としてタマゴ立てをめいめいの子供たちに買ってきてくれたのだった。
A・P・ギブスは説教者であると同時に作曲家でもあった。夕食後、ぼくは彼のために用意されていた寝室に荷物を運ぶよう言いつけられた。彼は新しい歌集のために作曲しているところで、スーツケースの中には本やら紙やらがいっぱい詰まっていたために、重くて持ち上げられないほどだった。まもなくそれらの紙は一面にぶちまけられて、隅から隅まで部屋を占領してしまった。同じように洗濯物も、風呂場中、シャワーから流し場まで吊るして干されていた。」

この続きはまた明日。