2017年1月24日火曜日

寒い


朝起きて温風器にスイッチを入れたら3℃寒い。多分北側の洗面所や玄関は3℃を切っているだろうからチルドルーム状態である。12℃(最低セット温度)に設定しているが暖かければどんどん上り14-5℃くらいになると切る。しかし12℃までは割とスムースに上がるがそこから足踏み状態である。温度の上がり具合で寒さの度合いがわかる。このような形でも寒さを実感できる。

昼食後、速歩を兼ねて役場と郵便局へ、毛糸の帽子をすっぽりかぶり厚手の手袋をして歩くが頬は冷たい風が当たって痛い。役場で銀行のATMで入金し、ついでに新聞を読んで郵便局へ、本の代金を振り込むのだがわからない。局員に来てもらって教えてもらって何とか振り込みをする。後で分かったのだが振替の口座と銀行の口座は同じなので口座記号と番号をそのまま登録すればよかった。これで一つ利口になった。見たらなんだかんだで10カ所位登録されていた。振り込みなどではゆうちょ銀行は便利である。

帰りは回り道をして歩数を稼ごうと思ったがそんな元気もなく、4時も過ぎてもいたしさらに寒さがしみてくるのでそのまま帰ることにした。それでも3400歩2.4キロ歩く、明日も寒そうだが風がなかったら歩こうと思っている。血圧が高いのにさらに10くらい上がっているようで、長生きするかなと思っていたがここがネックで80までは?と頭をよぎるが「生かされて生きる」。主に委ねて頑張ります。

旧約を読み終えて


昨年7月から読み始めて昨日ゼカリヤ書の後半とマラキ書を読んで旧約を読み終えた。半年チョットかかったがなんか字面を追うように読んでしまった感がしないでもない。年の所為と思うのだが記憶するとか集中するとかがとみに衰えたことを実感させられたような気もする。以前だったらガクッと来るのだろうがこれが「年」というものかと思って淡々としている。

イザヤ、エレミヤ、エゼキエルと読んできて、言葉はあまり残らなかったが人となりをいつもより感じた。格調高いイザヤ書もイザヤの育ちの良さが伺え、歴史に翻弄されたエレミヤの悲劇に共感したり、エゼキエル、ダニエルは捕囚になってもエリートはエリートだなぁなんて思ったりしていた。この発想はキリスト者とは思えない感もしないでもない。それでも大預言書より小預言書の方がどこか共感するものがあり、そこに彼らの苦悩が神の苦悩と重なるからである。新約では罪と片付けてしまうが旧約は人間の赤裸な姿を隠すことなく露わにしている。私なんかまだいい方かなと思わせる程赤裸なのである。この赤裸がイエス様の苦悩につながるのだろうか。どんな感じを受けるか新約へ…。

アメリカ新大統領トランプ氏に思う


大上段に構えたわけではない。以前にも紹介したが長谷川町子さんの「意地悪ばあさん」の中にある一コマに新聞を広げながら「これからは世界情勢を勉強しなければ」とつぶやきながら結論は「トルーマンもチャーチルもスターリンもあまり長くはないな」だった(正確なことばは忘れたがこのような内容だった)。ミニ意地悪爺さんとして似たようなことを。

今、トランプ新大統領の就任と言動で賑わっているが私のキャパシテイの範囲を超えているので断片的なことを…。

2-3年前に「アップル帝国の正体」(文芸春秋刊)という本を読んだ。そこには日本の多くの企業が部品を提供していることが書かれていて、日本の工業技術の素晴らしさを示すものでもあり、ある意味でメイドインジャパンといってもいいかもしれない。日本の企業の技術がなければアップルは成り立たないような面もあるようだし、アップルのお陰で潤っている企業も少なくなくないようでもある。しかし、設備投資をしていざという時に発注を激減させることがあるらしい。その技術を他の企業に安く発注しているのである。ある意味で技術の横取りである。それで電源アダプターのコネクターに使われるピンを製造している島野製作所がそれで訴訟を起こし一審では勝訴したようであるがその後はどうなったか。どこか横暴さを感じる。

グローバル企業は根無し草のように賃金の安いところ部品の安いところへと動いていく、アップルは自社の利益のためにはある意味で横暴と思えるほどのことをしているようでもある。古い話だが松下幸之助は共存共栄を謳っていた。それは製造、販売、そして顧客がともに利益を受けることを旨としているのである。今はそのような発想では企業は成り立たないのであろうか。ある面でグローバル企業はハイエナのようなものである。獲物を捕らえ、あらゆるものをシャぶって骨だけ残して去って行く、あるいは弱者は捨て去られていく時代になったのかもしれない。トランプ氏は内向きだという、しかし外向き?のグローバル企業は誰に利益を与えてくれているのだろうか。アメリカにもスポイルされている多くの国民がいるのだろう。彼らに目を向け何かをアクションするならそれはそれで素晴らしいことであると思うが賞賛か失望かはたまた…。日本もミニアメリカであるようなものだからいい政治が出来るように期待したい。この祈りはキリスト者にとって必須のものである。

イエス様は言われた。
luke:19:10
「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」と。

2017年1月23日月曜日

平出遺跡


義姉を定期的に眼科に連れて行っている。待つ時間が一時間からあるので受付を家内に任せて平出遺跡なるところに速歩を兼ねて行ってみた。ここは塩尻駅から2-3キロにあるから速歩にはちょうどいい。

前日の雪で道路は雪はなかったが畑や人だけの歩くところにはまだ雪が残っているので充分見れなかった。ちょうど藁の三角状でできた縄文時代の復元住居に灯油ストーブのようなもので中に煙を入れている人がいるので尋ねたら虫の駆除と煤で耐性を保持させているのだと言われ、中に入ったら暗いけれど寒さをあまり感じない。縄文人の知恵は寒い信州でも生活できる知恵を持っているのだなと感心する。立ち話をしながら色々と話をしてくれた。生まれ育ったのが萱葺きの家だったから形は変わっても彼らから受け継いだものなのかと、暗くて嫌なイメージしかなかったが先人の知恵の恩恵にあずかっていたことを確認させられた。少し離れたところには平安時代の少ししゃれた?住居の復元建物があったが外形は少し違っても中は同じようなことを言っていたので革靴でもありあきらめた。

寒い信州なのに縄文時代の古い遺跡があちらこちらにある。冬は寒くて苦手な者としては更に暖を取れない古代人は偉いなぁと感心する。先週から少し歩き始めたが寒い風の吹いている日はさすがにパス、古代人は頑張れるけど現代人は忍が足らずに頑張れないと自分に納得させて今日はお休み。

2017年1月15日日曜日

我が家は


3℃~8℃
3℃~6℃
0℃~2℃
-18℃~-20℃
これは冷蔵庫の標準的な温度である。上から野菜室、冷蔵室、チルド室、冷凍室となる。

朝起きて温風器をつけるといつもは7℃前後であったのが今朝は3℃になっていた。昨日からの寒波のニュースは我が家にも如実に表れている。そして昨日は雪がちらついてどんよりした一日だった。寒さでかじかむ思いと相まってどこか雪国独特の陰気臭さを感じてしまう。昼間パソコンをいじりながら思わず首だけ出して炬燵のなかで寝てしまった。

我が家は野菜室から冷蔵室にそしてチルド室に挑戦しようとしている。多分そこまでは行かないだろうが3月初め頃までは野菜室と冷蔵室を往復することだろう。1月も半ばになると後二ヶ月ちょっと寒さを我慢すれば暖かい春がやって来ると思うと寒さもそれほどと思うようになる。冬が来る前はおどおどしていたのに現金なものである。それと我が家の隣は葬祭所暮れから年明けてよく車が止まるようになった。それは亡くなられた方が多いということすなわち寒さをこのような形で実感する。速歩も年開けてからパスしているからそろそろ炬燵から抜けて猫から犬に変身しないとと思っているが…。

2017年1月12日木曜日

緋文字


若い時に読んだホーソンの緋文字を図書館から借りて読んでいる。2013年に光文社から小川高義訳で「ホーソーン」となっている。これが一番新しい訳のようだ。3-40年前に読んでいるから細かいところはほとんど忘れてしまって読みながら思い出している。ただ最初の導入部分は以前のには載っていなかったように思うが…。

へスター・プリンという一人の女性が女の子を生む、しかしその子の父親は夫ではない。身持ちの悪い女性かと思えばそうではなさそうである。質素ではあるが善良な一市民として惜しみなく施しをし助けを必要としている人には助けの手を差し伸べているようでもある。姦淫を除けば?非の打ち所のない女性なのである。しかし時代は清教徒たちが開拓したニューイングランドでの出来事である。彼女の胸には常に「A」(姦淫)の緋文字が付けられている。人々の非難めいた注目を受けながら逞しく生きていく母娘の姿が描かれている。

初老の夫は妻を顧みることなく放浪しているようで、インディアンの土着の医療を覚えたのか薬草を探しながら医者まがいのことをやっている。錬金なる言葉を発しているから金鉱を探す山師のような仕事をしていたのかもしれない。しかし妻が子供を産むと執拗に犯人探しをする。その鋭い感は相手を追い詰めていくがその執拗さは尋常ではない。若い牧師が女に向かって「…お前が飲もうとする苦い薬の杯を、おそらくは自身の手でつかむ決心がつかないであろう者にも、差し出してやるがよい」と名前を告白するように迫るが彼女は「…もし叶うことなら、その方の分まで私が苦しみ抜きとうございます」と告白する。(実は女の子の父親はこの若い牧師なのであるがどのような経緯でこうなったかはわからない)悪役のような夫、真実な二人と現実に起きたことに対する赦しのない行為、ピューリタンは素晴らしいがそこには許しがない。聖書にも同じようなことが登場するが結果が悲惨でも赦しがある。しかし人は許すことは出来ない。あるいは赦しは人の側にはなくて神の側にしかないのだろう。教会の限界もここにあるような気がする。勿論それを求めるつもりもないしできない。本を読み終えて愛するとか許すとかは人の世界では狭い世界でしか通用しないのだろうなと思わされた。しかし人はその世界から出ることも出来る。色々な方法で、それが信仰的か否かはわからないが。

2017年1月10日火曜日

成人の日


成人の日に東京、群馬、そして大阪で集会関係の学び会がある。在京の時は東京の学び会には出席せず群馬まで出掛けていた。こちらに引っ越して隣県になったので近くなったと思ったらあまり変わらずむしろ遠くなった。最初の2-3回は集っていたが遠いのと峠を二つ超えるので凍結の問題もあってその後は行くことをやめていた。今年は群馬の学び会が午後からなので今回はと思っていた。しかし、問題はお天気、そして懸念していたことが現実になってしまった。昨夜からの雪で朝は一面真っ白、これで群馬は飽きらめた。そういえば以前は成人の日は15日だったがよくこの日は雪が降っていたことを思い出す。ある時は大雪で中止になってそのまま凸凹の雪道をそろりそろりと走って帰ってきたこともあった。今考えると若かったなぁと感心する。今では凍結の問題もあるからちょっとでも雪降ったらパスしてしまう。

土曜日、雪のことで心配しながら眠りに着いたのだが夜中といっても今は6時でも真っ暗だから朝方なのだろう。そんな中で外で車が動いているような音がする。隣は葬儀所の駐車場になっているから除雪かなとそっと障子を開けて見たら車車で駐車場はいっぱい、通夜にしては建物が真っ暗、交差点の角には蛍光灯のような物が点滅している。そして尾灯のついた車が二台道路に停まっていて、そのうち車が入って来て何か立ち話をしていて一台がスーと発信して行った。もう一台は出て行った車のところに進んで停まっている。朝起きて障子を開けて覗いたら同じように車が止まっている。何?と思ったが考えてみたら明日は成人の日、着付けの車であることが分かった。近くに着付けもする写真館があっていつもこの日に車がいっぱいになっていたことを思い出した。

成人は祝ったことはない。自分も丁度引っ越したりして出席できなかったし子供たちも家では何もしなかったように思う。あらためてとの思いもある。それといつものバカ騒ぎがニュースになっているのを見せられると悲しい。あんな風にしか自分を表現できないのかと思うと悲しくなる。それと作られた華やかさは嫌いでもある。もうやめた方がいいか別な何かを考えた方がいい。二十歳は区切りの年ではない。学校を終える15、18、22を区切りとした方がいいように想う。卒業式が新しい旅たちの時でもある。わが人生の旅たちも近いこともあるなぁ…。

2017年1月9日月曜日

エゼキエル書16章1節~23節


主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、エルサレムにその忌まわしいことを知らせなさい。あなたは言わねばならない。主なる神は、エルサレムに対してこう言われる。お前の出身、お前の生まれはカナン人の地。父はアモリ人、母はヘト人である。誕生について言えば、お前の生まれた日に、お前のへその緒を切ってくれる者も、水で洗い、油を塗ってくれる者も、塩でこすり、布でくるんでくれる者もいなかった。だれもお前に目をかけず、これらのことの一つでも行って、憐れみをかける者はいなかった。お前が生まれた日、お前は嫌われて野に捨てられた。

しかし、わたしがお前の傍らを通って、お前が自分の血の中でもがいているのを見たとき、わたしは血まみれのお前に向かって『生きよ』と言った。血まみれのお前に向かって『生きよ』と言ったのだ。わたしは、野の若草のようにお前を栄えさせた。それでお前は、すこやかに育ち、成熟して美しくなり、胸の形も整い、髪も伸びた。だが、お前は裸のままであった。

その後、わたしがお前の傍らを通ってお前を見たときには、お前は愛される年ごろになっていた。そこでわたしは、衣の裾を広げてお前に掛け、裸を覆った。わたしはお前に誓いを立てて、契約を結び、お前は、私のものになった、と主なる神は言われる。

わたしはお前を水で洗い、血を洗い落とし、油を塗った。そして、美し織った服を着せ、上質の革靴を履かせ、亜麻布を頭にかぶらせ、絹の衣を掛けてやった。わたしはまた、装身具をお前につけ、腕には腕輪、首には首飾りをつけた。また、鼻に飾りの輪を、耳には耳輪を、頭には美しいし冠をかぶらせた。

こうして、お前は金銀で身を飾り、亜麻布と絹とで美しく織った服を身に着けた。そして小麦粉と蜂蜜と油を食物とした。こうしてお前は非常に美しくなり、女王のようになった。その美しさのゆえに、お前の名は国々の間に広まった。わたしがお前を装わせた装いには、少しも欠けるところがなかったからである、と主なる神は言われる。

それなのに、お前はその美しさのを頼みとし、自分の名声のゆえに姦淫を行った。お前は通りかかる者すべてにこびを売り、身をまかせた。また、自分の着物の中から選び出して、華やかな床をしつらえ、その上で姦淫を行った。このようなことは、かつてなかったし、これからもあってはならないことだ。お前はまた、わたしが与えた金銀の美しい品々を取って男の像を造り、それと姦淫を行った。お前は美しく織った服を取ってそれらの像に着せ、わたしの油と香をその前に供えた。また、お前はわたしが与えた食物、お前を養ってきた小麦粉、油、蜜をその前に供えて、宥めの香りとした、と主なる神は言われる。

お前はまた、わたしのために産んだお前の息子、娘たちをとり、偶像の食物として供えた。お前の姦淫はまだ足りないのか。お前はわたしの子供たちを殺し、火で焼いて偶像にささげた。お前はあらゆる忌まわしいことや姦淫を行っているあいだ、幼いときに裸で血の中をもがいていたことを思い起こさなかった。

ああ、なんと災いなことか、お前は、と主なる神は言われる。…
共同訳聖書

付記
人間的な神の苦悩が伺い知れるこの箇所は好きである。ここにイスラエルの民の姿だけでなく、キリスト者も然りであろう。御し難い罪と主の受肉と受難しか解決の道がないことを教えられる。

相変わらずに千鳥指である。下手な鉄砲も数うち当たると同様で数を…。

2017年1月8日日曜日

今月のみことば


「さあ、来たれ。論じ合おう」と主は仰せられる。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くとも、雪のように白くなる。紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」    
             イザヤ書1章18節)

 石井藤吉という極悪の犯罪人がいた。47年の生涯のうち何と在獄20年余、盗み、傷害、殺人、強姦、脱獄を繰り返した。◆しかしある時、自分が犯した殺人事件で別人が逮捕されたことを知り、自首を決意。真犯人である、と名乗り出て、冤罪を未然に防いだ。ところが、その後、毎晩恐怖を覚えるようになる。無理もない。これだけの罪を犯したのである。これだけの罪を犯したのであるい。行先は地獄以外にどこがあろうか。◆そんな中、雨の日も風の日も絶えず監獄を訪問し、相談相手となり、慰め励ます二人の婦人宣教師がいた。◆二人は藤吉に正月料理と新約聖書を差し入れた。思いがけないこの訪問に、さすがの藤吉も驚き、はじめは疑いながらも聖書を読み始めるうち、次第に心が惹かれていった。◆ある日、ルカの福音書23章34節に至り、藤吉は「五寸釘を打たれたような」衝撃を受けた。そこにはこう書いてあった。「そのとき、イエスはこう言われた。『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです』」。◆藤吉はついにキリストに心を開いた。すると今までの不平不満に代わって、感謝の心が生まれてきたのである。そればかりか、いったん枯れたように見えた菊が、時期が来て咲くのを見て、不滅のいのちを素直に信じることが出来た。◆わずか一年数か月の信仰生活の後、ついに死刑は執行されたが、英訳された藤吉の手記を読んだ世界的聖書学者ウィリアム・バークレーはそのマルコ伝注解の中でその感動をこう記している。「死刑宣告を受けたその男を絞首台に連れ出したに来た看守が見たのは、それまで思っていたような気むずかしい、無情な人非人ではなく、ほほえみを浮かべた輝かしい人間であった。殺人者イシイは生まれ変わっていたのである。」
         長野キリスト集会1月月報より

2017年1月7日土曜日

年明けて


元日の4時過ぎに東京を発って諏訪に向かう。少し寝不足かなと思いながらい向こうの両親が待っていると思うとついスピードが上がる。眠さも限界でついに双葉で仮眠をする。どのくらい寝たかわからないがコーヒーを飲みひたすら諏訪へ、富士見を過ぎたころに給油のランプが点滅、やばいと思いながら40キロは走るだろうとちょうど下り坂が続くので殆どアクセルを踏まずに走る。そして、諏訪インターへ、下りてすぐスタンドが何軒かある中でTポイントが使えるエネオスへ半分入れて、彼女に実家へ、お母さんが食事をと言われたが固辞して家に向かう。ガラスの里の前のスタンドでマンタンにするが9円しか違わないこれならさっきのところでと思ったが後の祭り、ガソリンも少しづつ上がっているようだ。

翌日は東京での疲れを癒す為にのんびりと何もせずに過ごす、家内は箱根駅伝をTVで観ていたが私はさほど関心がない。いつもなら箱根の坂でのアクシデントを期待して見ているのだがその興味なし。年賀を出しに郵便局に行ったついでに足を延ばして下社秋宮へ、参道の中間位のところで人の流れを眺める。それ程ではないがそれなりにかコンビニも繁盛している。この時ばかりに店の前でも売っていた。勿論屋台も出ている。自転車で行ったのでそこから先の坂を登る元気もない。下の交差点では下諏訪教会の信者の方が「イエス・キリストを信じる者は永遠のいのちを持つ」のみことばを立てて頑張っている。もう一つは読めなかった。あそこにのぼりを持って立つのは勇気がいるだろうなと思った。4日は速歩を兼ねて郵便局、秋宮、イオンを歩いた。4日にもなるといつもよりは人通りは多いが三が日ほどではない。東京からの観光バスもあった。駐車している車も松本ナンバーが多く、長野もチラホラ、勿論県外ナンバーもそれなりにあってさすがだなぁと変なところで感心する。奥のさい銭箱の前には数人くらいが立ってお辞儀をしている姿しかない。賽銭箱と言ってもどこもそうなのだろうが白いシートを広げている。そうっと覗いて見たら下に小銭やお札が見えた。札は数えるしかなかった。硬貨も100円というより銅貨が多いように見えたが実際どうだったのだろう。それにしても家内安全、商売繁盛ではないが色々祈ったのだろうから捧げる金額は少なすぎる。少し虫がいいのではと内心思えながら巫女が並んでいる札所を眺めながら、駐車場の車のナンバーを見て帰ってきた。唯一の稼ぎ時だから大変だなぁと思いながら…。

4日はN兄が蟹を送ってきたので皆と鍋をつついてようやく正月気分を味わう。翌日、暮れから風邪気味だった家内を医者へ、その晩に寒気を覚えながら夜更かししたら、風邪に、そして我慢できずに7日に医者に行って来た。軽い風邪のようだ。此のところ毎年風邪をひくようになった。年を感じるが私を好いてくれるのこれ位か?と、イエス様を別格として…。そして今、借りてきたホーソーンの「緋文字」を読み始めている。本当は今日が返却日なのであるがまだ1/3くらい、その上「余暇と祝祭」という薄い本も借りてきた。暮れにアマゾンで取り寄せた本二冊は積読のまま、これが年明けての出来事である。

礼拝に出席して


元日は前日よりもゆっくりと起きて、軽く食事をして集会に向かう。大晦日ほどではないがガラガラである。息子のところに車を置いて集会へ9:50分から賛美と聞いていたがすでに9:55分、上から賛美の歌が聞こえる。もう始まっているから私が最後かなと思っっていたら、コートをハンガーにかけているとH姉妹が「おめでとうございます」と後ろから声をかける。しんがりでなくてよかったとホッとしているとその後も4-5人来たみたいで以前より厳しくなくなったのかなと思わされた。なんせ8年5ヶ月ぶりの礼拝である。人が大勢になったのか「狭い」という実感を受ける。それでも帰省している人が30人とかそれだけ少なくてよかった。若い人が加わって活気がと思っていたら知らない年配の兄弟が数人見かけたので「若者だけではない」のにホッとする。時間が有ったら祈ろうかなと思ったが遠慮した。昔、集っていたといってもお客さんだ。しかし、私の他に福岡からT兄姉が来られていて兄弟はみことばを読み少しコメントして祈っておられ、彼女の帰省で行きも帰りも別々とか帰り際に兄姉で挨拶してくれた。たくさんの賛美と祈りがあって久しぶりに礼拝を満喫する。でも小さいところもそれなりにとの思いもあったが…。

その後、深い学びをされるというT兄がハガイ書より「神が喜ばれること」というテーマで学んでくださり、現状を踏まえ、将来に備えることの必要性を語られて年の初めにふさわしい学びに感謝する。

学びが終わりアナウンスも終わったら何人かの兄姉が来てくださり挨拶をする。懐かしい顔顔顔である。K姉妹に嫁さん会いたがっていたよ顔出して」と言ったら「これから人に会うんだけど」と言いながら寄ってくれたみたいで「○○ちゃんありがとう」。
短く挨拶して昼はどうするのかなと思って下に降りたら食事があるそうでほっとする。鶏肉?の入った細いうどんで美味しかった。器を持ってどこで食べようかなと空いてる席を探していたら年配の姉妹たちがここにと一つ空いていた席に座り交わる。冗談を言いながらT姉妹とシニアキャンプで会おうと約束し、Y姉妹の持ってきたロールケーキ状の和菓子をいただく、残っていたもう一本を「姉妹に」と言われ喜んで貰ってきた。帰りにM姉妹が忘れ物をしたと自転車に乗ろうとして、そこへ私が息子のところへ行く旨を話したら自転車をを引いてかのじょの家まで話をしながら行く、8日に兄弟が彼女が以前集っていた集会の奉仕があり、学校も9日まで休みとか両方の実家に行かれるのだろう。明日は早く行って自由席を確保するとか7月には4人目が生まれる。お嬢さんのような姉妹が子供を持つとバイタリティーお母さんに変身する「気をつけて、今年もよろしくと」と言って内に祈りながら分かれる。この一年もファミリーにお世話になる。主にある者の幸を覚える時でもある。次はいつになるかあるいは最後になるかもしれないが幸いな礼拝の一時であった。