2017年3月31日金曜日

年度末、そして新たな一歩


今年ももう四分の一が過ぎようとしている。過ぎ去って行く日々は早い。学校に行っている子供さんがいる家庭は卒業、進級とあるから年度の変わり目を実感するが我が家は毎日は勿論年度変わりなどというものの変化はない、という日々である。

ブログも書くことはあっても時間がなかったり、量的に多いなと思うとパスしたりしている。それと些細な事でもすらすらと書けるときと色々思案して結果的に書けなくてパスしてしまうということもある。

昨年の7月の初めから読み始めた通読も先日読み終えた。意識的にか自然にかわからないが只字面を追う読み方だった。共同訳を読んでいたが今回からまた新改訳を読み始めている。以前は共同訳もよかったと思っていたが読み始めると新改訳がしっくりくる。それと新しくできる聖書のサンプルを取り寄せたが文章が読みやすいようになっているような気がするが中には?というところも感じて全体でどんな感じになるか秋が待ち遠しい。
昨年はデボーションにナウエンの「今日のパン、明日の糧」を用いていたが以前ほどしっくりこないで今年からマクドナルドの「この日を主とともに」を用いている。読み始めるとしっくりくるからよかった。仲介・チェン式字が細かいがなんとか読める。この聖書の特徴を生かしてわき道にそれながら少しゆっくりと読んでいきたいと思っている。お陰で2:4「経緯」、5:1「歴史の記録」、6:9、10:1、11:10・27、25:12・9、36:1、37:2「歴史」、36:9「系図」が同じ語源であることを知った。だから何と問われると返事に困るが…。

韓流ドラマもそろそろと思いながら一年が経ってしまった。今は卒業してといってもYouTubeでチラチラと断片的に覗いているが…。新年度からは少し腰を据えてと何か聖書関係のものをつくってみたいな思っている。集会の兄姉に新約の超ダイジェスト版をつくってみようかなと思っているがその旨家内に話したら無言、あんまり…ということらしいがそれでもそれすら知らないとなるとと思うのだが…。新年度のチャレンジの一つになれる?計画倒れ?まさにチャレンジ…。

畑ももみ殻があったので前日と前々日でそれを蒔き、新しく大きい鍬も買って荒く耕してきた。今まで中途半端の部分もあったが今回で最終的な型が出来たと思っている。後はその中で個々に作付けをしていけばよいようにした。今年は連作防止の関係もあって作付けする場所が変わるだろうから楽しみだ。ハードが終わったのでソフトに力を入れて勉強していかなくではと思っている。来週半ばに苦土石灰などを撒いて、次の週はもう種まきだ。今年は遅れないようにと義兄たちも準備しているようだ。畑も今年で4年目、マメにやらないとダメだし、連作の問題もあり色々と面倒、出来るのは何年もないかなと話をしている。慣れと難しさの端境期か…。

またもロシアから


ここ一週間、ブログを開けていなくて開けたらロシアから普段の一ヶ月分に匹敵するくらいのアクセスがあった。プーチンが来たほどではないが何事かと思ってしまう。変なアクセスでもないであろうし日本語が理解できるわけでもないだろう。グーグルクロムの所為かなと思ったりもするがどうなのだろう。数少ないアクセスの中で三分の一くらいがアメリカを示している。もしかして読んでいるかなと思ったりもするがロシアでは…。あまり気にはしていないが。

手紙


Hさま

土曜日には短い時間でしたが楽しいひと時を過ごすことが出来てうれしかったです。ブランクがあるので会話に入れない部分もありましたが点が線となってつながる部分もありました。Sさんが「もう亡くなったけどテツオくん近くに住んでいたの、テツオくん知ってる?」と聞かれて、首を横に振ったのですが思い巡らしながら学校の近くいた男の子がいた「ヒラヤマテツオ?」と思い出し、そう言えば卒業前に菅谷の中学校に4校の生徒が集まった時、帰りに石川小学校の連中と罵り合っていて私がグランドの中に入って行ったら後ろから羽交い締めにされて倒され弁当箱のようなものでぼこぼこ殴られたときに彼が助けてくれたことを思い出しました。元気のいいのはここまででそれ以降「ショウシンモノノS」で通っています。
後日談があってその羽交い締めした男の子とわたしの父親はいとこでお互い同級生がいることを知っていましたから中学に入って「お前だったのか」と彼が笑いながら声をかけて来ました。そう言えば彼は下石川、あなたのいとこのY子さんとは同じ集落では?付け加えれば彼女のおねいさんとおふくろの実家の従兄が結婚していました。振り返っても見えない遥か古の出来事です。それでも思い出せればいい方です。余談でした。
空白の部分があっても皆さんのお話しを聞いているだけでも充分楽しかったですよ。

新宿、有楽町、銀座と雑踏?の中を歩いていますとなぜかホッとします。丁度、中央通りが歩行者に解放されているのを見て、秋葉原に勤めていたころのことを思い出し懐かしさを覚えました。芸術には縁のない者で「絵画は目で見てよかった音楽は耳で聞いてよかった」が基準ですから知れています。皆さんの絵を観ながら直接描かれたものには味わいがあるなぁと、そして、もう皆さんは趣味の域を超えているんだなぁと思わされました。無芸のわびしさを実感させられたひと時でもあります。一つ「無題」はわかりませんでしたが…。
Kちゃんはカメラマンの目線で観ているのを感じて「そういう目線もあるのか俺は単純だなぁ」なんて思いながら観ていました(見ではなくこの字で観ていましたからね)。当たり前のことなのですが絵を描くとはその人の個性が出るものなのだなぁと初めて実感しました。だから同じものを描いても人によって違うものが出来上がる。こういうこともあるからいいのかなぁなんてひとり呟いて観ていました。それと描く素材を探すのも大変なんですね。東京にも人を和ませる雲があるとは知りませんでした?

今回でおやめになるとか2年後は一つ足せば80です。半世紀前後やっているのでしょう。継続するということは好きな事でもしんどいことも多々ありますでしょう。でも無理のない範囲で頑張ってほしいなぁと思います。後期高齢者になっても頑張りましょうと人には言えるのですが自分には聞く耳は…。

東京には年に二三回は行っていますが今回のようにトンボ返りが多く、時間が有ったらあそこにもここにもとの思いがあります。しかし、いつもこんな調子で近くに行っても素通りしてしまいます。今回も然りで秋葉原も万世橋と末広町にある店に寄りたかったのですが末広町はあきらめて息子のところへ、孫を数秒抱いて駅へそして新宿へ、時間がないので西口の地下の立食いカレーを食べてバスタへ、ものの何分もしないうちにバスが来ました。ゆっくりできたのはバスに乗ってからでした。でもこんなせわしないのが生きている実感がして好きなんです。
諏訪に着いて、インターの近くの川の両岸の土手が通勤道路と言われている車専用の道路になっています。普段は切れ目なく車が走っているのですが9:30過ぎだというのに前にも後にも車の灯りは見えず「地元に帰ってきたなぁ」を実感させられました。山に囲まれ山梨、塩尻、上田方面に行くには千㍍の峠を超えなければなりません。ある種の閉塞感があります。それに刺激も少なく、東京の繁華街を歩くだけでも開放感があり、誘われて上京できるとなると内心ルンルン気分になります。家内には「小学校のミニ同級会があるって、T(息子)にも届けるものがあるからちょうどよかった」と少し気難しい顔して言うのに演技が要ります。いつかゆっくりと時間を取って上京したいなとの思いはいつもあります。何時もパスしている行きたいところや友人に、そして皆さんとランチを食べながらダべリングをとの思いもあり、Yさんは働いていますが多摩から新宿へは同じ京王線で、と思いはいくらでも膨らんでいきます。

小学校は三校に分かれ、中学も卒業して就職で東京に出ました。それで田舎も人も切ってしまいました。また、そういうものだと思っていましたから三校に分かれた小学校の人たちが集まっているなどとは想像もつきませんでした。二十代のころたまたま田舎に帰った時に新発田で小学校の同級会があったのに誘われて兄に促されて出席しましたがノリさんと話をしたことくらいしか記憶になく誰が出席していたかも覚えていません。それほど田舎に対してはアンチだったのです。上京している人たちの中学の同級会にも都合のつかないこともありましたが出ていませんでした。コンスタントに出るようになったのは五十代になってからです。そしてHくんの家に寄るようになったのも月岡での同級会の帰りに寄って以来です。いつでしたか話をしている時、シンゴくんが亡くなったことを言われ、高校で一緒に勉強した仲だったのでショックだったと言われました。(Hくんは心臓の弁幕が弱っていたようで元気ではなかった。今は人工弁をつけていると思いますから健康は大分回復したのではないかと思います。)正直シンゴくんらには小学校に入ったばかりの時に軽いいじめに遭っていましたからいつか仕返しをと思いながらそのチャンスもなく卒業してしまいました。ですから彼らに対していい思いは持っていませんでした。「仲が良かった」と聞いた時、半世紀以上拘っていた俺は何なのだと思わされ、バカみたいな自分の姿に目からうろこではないですがその拘りがスッとなくなりました。そして田舎に対する拘りも…。
いつかHくんたちにはお礼を言いたいと思っています。その為だけではないですがもう一田舎に帰って心のけじめをつけたいなぁとの思いがあります。
このミニクラス会にもHくんがあなたに私にも案内したらと言われて案内を送ってくださったそうですね。あなたが嫌だと思って出さなかったら今の繋がりはありませんでした。そういう意味で皆さんの好意で繋がり、拘りが消えていったことを思うと感謝に絶えません。末席に連なり、(6人しかいないと上席も末席もないですね)皆さんのお話を伺いながら歌を忘れたカナリヤが歌を思い出すように小学校の頃を思い巡らしていましたが空白が多すぎて…。
人生のカウントダウンに近づいてようやく人並みの仲間入りは遅すぎましたがそれでも私にはうれしいことです。それは中学もそうですが私の努力ではなく皆さんの好意がもたらしてくださったものであるからです。
ハガキでちょっとお礼をとの思いでペンをとりましたが自分でも読めない達筆と文が頭に浮かばず、パソコンですと文章を切ったり張ったりできますからそれに慣れてしまいつい楽な方に行ってしまいました。味わいのない活字で申し訳ありませんが思うがままに書いてしまいました。インターネットでブログを書いていまして何か発信というのではなく、お金のかからないボケ防止のためなのです。最近は文章が浮かばなくて歳を実感させられています。上京するのも元気のしるしではなく、ボケ防止の一環でして、懐かしい皆さんのお顔とお話しで一石二鳥の思いでおります。しかし、認知症の人って割と体は丈夫なんだよね。少し恐怖!
今回皆さんを見て二年おきでも後二三回は大丈夫そうだなぁなんて思いました。そう言ってももう後期高齢者のおじいさんとおばあさん自覚しながら元気で過ごしましょう。
皆さんにそして「砂」の会の方々に感謝しながらいつかまたお会いする日を期待して…。お礼まで。 

友(?)遠方より来る


先週の木曜日の夕方、パソコンでドラマを観ていたらチャイムが鳴り、家内が出て行ったのだが慌てて口をもごもごさせながら早く来てと言われ玄関に出たらY牧師が立っていた。ここでとお土産の袋を差し出しながら帰られそうなので折角だからと、寒く、ごちゃごちゃしているところに上がってもらって少し交わっていただいた。奥様が飯田の出身なので年に一度かご家族と奥様のご両親とで上諏訪に集まっているようである。地図と年賀状を持っているので不思議に思っていたら電話番号がわからないのでメールをしたんですが着いてます?と聞かれ、メールを確認するために持っていたようである。毎日メールを開けていないのでわからない旨言って後で開けたら入っていた。宿の名前と宿の電話番号にご自身の携帯の番号も入れてあって恐縮する。以前に上諏訪に来るのでその時はお寄りしたい旨言われていたがまさか来られるとは思ってもいなかった。それに地図を見ながらとのことで近くのセカンドストリートの駐車場に車を止めて探しながら来たようである。家まで5-600mはあるから後で分かって恐縮する。下諏訪は町名はあるが何丁目何番地というのがない。通し番号のようになっていて何千番の何号となるから探す方は大変である。地図片手がわかって更に恐縮する。二三十分ばかりお話しをして帰られたがもう暗くなって食事の時間がと気になったが…。

彼が神学生の時、二年くらい同じ教会に集っていた。時間が取れたら二つのところを尋ねたいと思っていた一つである。もう羽村市の教会で牧会をされていたので失業した時に尋ねることが出来た。そのことを覚えてくださったようである。当時のことを思うとお恥ずかしいと言われていたが私とはそれほど話されなかったがK兄には色々言っていたみたいだ。今は八王子にある教会の牧師をしておられるからいつかお尋ねしたいと思っている。漠と思っていたが真剣に…、上京したら寄りたいところがまた一つ増えてしまった。ホントに時間をつくらないと、と思わされている。

2017年3月24日金曜日

速歩&ゴミ拾い


信州の三月は春というより寒さが和らいだという季節である。tenki.jpを「お気に入り」に入れて毎日下諏訪町の明日の天気予報を見、ついでにその後の十日間のお天気と最高最低気温を見ながら「春はまだ先だなぁとかもう少しで春が…」とか「日曜日は5.9℃で雨かぁ、でも来週あたりから気温も10℃前後になってる来るから春も近いな」とかつぶやきながら一喜一憂している。

4日から歩いてなくて17日に2キロ先の皮膚科の医者に行くのに運動不足もあり歩いて行って来た。寄り道などもしたので5キロ余り歩いたから一回3キロ目標だから二回弱の感じに…。今週は真面目に一日おきに歩いている。それも少し伸ばして4キロと、それにふくらはぎの筋肉に刺激を与えるために足をまっすぐ延ばして歩いている。お蔭でラジヲ体操をやると前屈では手のひらがつくようになった。

寒い時は暑い手袋をしていたが今は薄い手袋か素手で歩いているのでまたゴミ拾いを始めている。歩いているとそれほどゴミは眼につかなくなった。それでも帰ってくればコンビニの袋に八分目は入っている。相変わらずタバコの吸い殻が多い。この間はビニール袋に入れた数本のカセットボンベの缶が捨ててあった。それと業者が入ったのか湖岸渕のゴミは少なくなっている。それでもペットボトルや白いビニールが目に入る。そのうち暖かくなったらゴミ拾いの出で立ちで始めようかと思っている。こんなのは俺だけかなと思ったら先日大きなビニール袋とトングを持ってゴミを拾っているおじさんがいた。家内が歩いている時に(別なところ)そこでゴミを拾っているおじさんを見かけたそうだ。4月から対岸でのシニアのゴミ拾いがある。今シーズンはコツコツと出来るか卒業するか?どうなるか?である。

2017年3月18日土曜日

何をしたかではなく、何の為にしたか


「武芸の達人だが職につけない武士、三沢伊兵衛とその妻たよ。妻は、人を押しのけず人々に希望を与える夫をあたたかく見守っているが、職のない伊兵衛は日々妻に申し訳なく思っている。旅の途中、折からの豪雨が夫婦を河畔の宿場町に足止めさせる。やがてその雨があがる頃、城主にその腕を偶然認められた伊兵衛は、藩の剣術指南番に招かれるが……。現代に失われつつある“優しさ”を見事に表現した、心が晴れ晴れとする温かい感動作。」「雨あがる」の映画の紹介があって、山本周五郎原作、黒澤明脚本、寺尾・宮崎美子主演をネットで観た。20年近く前の作品で出演している中の何人かはもう亡くなっている。それと今の若い人たちには受けないだろうなと思ったがこの年になると共感するものがあってよかった。山本周五郎・寺尾聰どちらだけでもどこかほのぼのとしたものが湧いてくる。

藩の指南役にほぼ決まりかけたが賭け試合をしたという訴えがあって駄目になってしまう。
長雨で足止めされていた人たちが食べ物もなく困っているのを見かねて賭け試合で得たお金で食べ物とお酒を買ってきて、長雨で沈みがちな人たちを元気づけ陽気にしてくれた。その為の賭け試合であった。城から断りに来た家老?に向かって妻が「何をしたかではなく、何のためにしたかが大事だ」と言い、喜んでそこを旅立つ、その言葉を聞いた城主は諦めきれずいたので自ら馬で二人を追いかけて行く、山道を歩く二人のシーンが繰り返されて、山越えした二人は目の前に広がる美しい海を眺めて感嘆して終わる。「何をしたかではなく、何の為にしたか」の言葉はイエス様が安息日に何人かの人を癒された。それをパリサイ人は安息日に癒したことを問題にしている。このことを思い出してしまった。自分も頭でわかっていてもいざとなったらパリサイ人的発想と行動が起きてしまいどこか批判的になってしまう。他者を生かすために己を…ことは大事だがいざとなると難しいことを実感する。イエス様は私たちを生かすために自ら死を選ばれた。心しなければならないことだと思っている。

2017年3月14日火曜日

「服従」という本を読んで


ミシェル・ウエルベック著の「服従」という本を図書館から借りてきて読んだ。抑揚?のない書き方で書かれているので読みづらかったが流し読み的に読んでしまった。

「服従」は2022年にフランスにイスラム政権が誕生するという近未来小説で、主人公はフランスの若き大学教授である。フランスという国は俗に言うジェンダーフリーの国なのか性的な事に関してはオープンなようである。恥を知る国では隠されているものがオープンに書かれている。しかし、この作家だけなのかもしれないし日本の小説でもエログロは別にしてもオープンに書いているものもあるのかもしれない。

出だしは主人公の身の回りのこと、日常の生活がことが淡々?と長々と書かれている。途中から突然のように大統領選挙のことが取り上げられてくる。最終的な大統領選挙で暴力的な極右政党か穏健なイスラム政党かとなった時に国民は暴力的な極右政党を嫌って穏健なイスラム政党を選ぶ、結果は静かに大学は変革されていき大学の教授はイスラム教徒で無ければならなくなった。教授の職を辞さなければならなくなり、後にカトリック教徒として生きようとしたが最終的にはイスラム教に改宗して大学教授の職を再び得る。大学の教授に戻りたいために改宗したというよりも改宗することはそれ程大きな問題ではないと認識して決断する。そうすれば大学の教授の職も得ることが出来るそんな感じを受けた。知的階級?の政治に対する無関心無力さをそして退廃的な精神を感じた(文学部教授という世界からか?)。勿論フランスがそうであるというのではなくあくまでも小説の中でのことである。小説の中でイスラム化していくフランスの危惧を伺い知ることはなかった。緩やかに変化していく中で、人々が気がついた時には戻ることの出来ない状況になってしまうのだろう。かつての日本とドイツナチスがダブる。

今ヨーロッパでは難民が問題になっている。彼ら難民はヨーロッパに経済的民族的にと色々問題提供をしている。自分に都合の悪い者たちを追い出して難民化させるのかあるいはヨーロッパを弱体化する意図から難民として送り出しているのかわからない。人道的支援と叫ばれる中で善意が前面に出ている。それは悪いことではないがその大きな動きの背後に「空中の権威を持つ支配者」を感ずる。小説本来から逸脱しているのだろうが若き大学教授の大学がイスラム化して行く中で危機感を持つことなく実に退廃的な発想に終始している姿にガクっとくる。終末に生きる一キリスト者としてだからだろうか。

2017年3月6日月曜日

今月のみことば


「あなたがたは、世にあって患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネの福音書 16章33節)

 マーティン・スコセッシ監督の映画、『沈黙』を見た。見事な映像のもつ迫力で、禁教の日本に潜入したポルトガル人宣教師の生き方が描かれている。原作者である遠藤周作の実存的な問いかけが重くのしかかる映画でもある。神はなぜ、信じる者たちを過酷な運命から助けてくださらないのか、なぜ沈黙しておられるのか、と。◆稀なる才能とたくましい信仰で尊敬を集めたフェレイラも、師の行方を追って日本に潜入したロドリゴも、結局は、背教の道を選び、日本の土となって死んでいく。神が「沈黙」しておられる以上、それ以外に生きる道はあっただろうか。いや、キリストは「この私を踏んでもいいから生きよ」と言っておられるのではないか、というメッセージをほのめかして映画は終わる。◆神が沈黙しておられるように見えるのはなぜか。◆私たちはこの世ですべてが完結しないと気が済まない。しかし、神の公正な審判が下されるのは将来である。その時には「大きい者」すなわち権力者も、「小さい者」すなわち庶民も神の白き御座の前で、何人も納得せざるを得ないさばきがなされる、と聖書は告げる(黙示録20:12)。◆また私たちはみな自分が聞きたいメッセージしか耳に入らない、という弱点がある。聖書に答えが書かれているのに、それでは満足できないのである。◆実に神は沈黙されるどころか、日本のドアを叩き続けられた。1549年のザビエル来航によって植えられた信仰の根は踏みにじられた。しかし、1853年の黒船来航にはペリー、1945年の敗戦時にはマッカーサーというクリスチャンを神は日本に送られた。ここで、日本の国の形は大きく変わることになった。政治において、教育において、日本は迫害の対象であったクリスチャンから、また長く禁書とされた聖書から広く深い影響を受けることになったのである。◆「聞く耳のあるものは聞くがよい」とイエスは語られた。問題は神が沈黙しておられるように思われることではなく、果たして私たちに聞く耳があるかどうか、ということではないだろうか。
      長野キリスト集会月報 三月号より

追記
 今回は割とスムーズに指が動いてくれた。指が前回は酩酊なら今回はちょっと一杯くらいの感じ。あまりいい表現ではないが…。

2017年3月4日土曜日

久しぶりの速歩


このタイトルはこれで何回目だろう。その数だけ否それ以上サボっているということだ。今日はと思いながら何かをやっていると気がついた時にはもう遅くなってパスの繰り返しだった。最近は日も延びて寒さも一時に比べたらきつくなくなったが少し前までは4時を過ぎると日が差していてもがくんと寒くなり風は肌を刺すように冷たかった。そんな繰り返しで3月に入り、日も6時近くにようや暗くなりかけてきて肌を刺すような寒さもなくなってきた。

昨日はコーヒータイムでお菓子をつまみながら久しぶりに水戸黄門を観る。久しぶりに見たら里見浩太朗黄門様だった。里見さんのはチョット気障っぽくてあまり好きではないが何となく見てしまった。この時間は上記に書いた「何かをやっているとつい」はPCをやっている。やっていると途中でやめることは正直勇気がいる。外は寒くなり、炬燵に入ってPCをやっていれば腰はさらに重くなり今日はパスとなる。そしてコーヒーカップを横に置きながらお菓子をつまみながらの所業なのである。それがTVを観ながらそして黄門様の後の堀尾さんのニュースを観ながら今は黄門様より堀尾さんがメーンになっている。豊洲問題で賑わっているが元都民としては気になる。松下幸之助の推薦を受けて政界にデビューしたころはよかったがあの醜態の会見を見て、「驕る平家は久しからずや」の言葉を思い出した。彼にホンのチョットの謙虚さがあったら多くの人から尊敬を受けただろうに今は「醜悪」としか見えない。しかし彼をあそこまでしたのは彼のまわりに真に国民を想い、都民を想う政治家がいなかったということかもしれない。彼らが彼をあのようにしてしまったともいえるかもしれない。

脱線したが堀尾さんのニュースを観ながら少し暗くなりかけたのにそれほど寒くないのでリュックにバスタオルと着替え下着を入れてウォーキングスタイルで出かける。風はそれほど冷たくない。湖畔端には幾つかのストレッチがある。その中のひとつを数分やっていつもの折り返し地点へ、その先にゆたんぽがある。こちらも超久しぶりである。入っているの数人、露天に入って体は温まるが顔は冷たいがこれが長湯の出来る所以なのである。中の湯は長く入っていると貧血を起こすこれで何度か倒れた。

日曜日の集会は建物の3階、いつも階段で上がるが3階に来ると息が切れて、運動不足であることを自覚させてくれる。それに歩くこともパスパスだったのでどうかなと思って歩き出したがそれほどでもなかった。帰りは温まった体に少し冷たい風が心地よかった。速歩で休むことなく歩いたら家に着いたら少し汗ばむ感じだった。4000歩、3.5キロまだまだ元気みたい。今日は午後から自転車で…。

2017年3月1日水曜日

シャキョウ


お寺さん関係では座禅を三-四回経験しているが写経なるものはこの間初めて経験した。シニアの集りで毎年この時期に行われているが習字が下手なのと興味はそれほどないしそれに準備が面倒という理由で参加していなかったが大分前から企画があるなら不都合がない限り参加しようと決めていたので参加することにした。参加するのに「と…」とあり、よく聞いてみたら筆ペンでもOKですよと言われ、筆ペンは祝儀不祝儀用にと買ってあり、その他に下敷きが必要と言われ新聞紙でもよいが100円ショップでも売っているからと言われて早速買ってきた。実際には筆ペン新聞紙という方も墨汁と毛筆という方もいて本格的と適当?と色々であった。この集まりにはお経を読める人と四国八十八カ所を二回に分けて走破?した猛者もいるからどちらかというと信心深い方々なのかもしれない。習字に毛のはいた感覚の我はお寺さんや彼らから見ると不謹慎そのものかも…。A3四ページの「初心者写経手引き」なるものには

写経
鐘を合図に、合掌礼拝(ライハイ)し、ゆっくりと写経を始める。
 自己の修行なので、上手下手、早い遅いは関係ない。
 一文字一文字を、仏さまと観じ、自分の心に、
 仏心を抱く気持ちで、丁寧に写す。
・・・
納経
感謝と願いを込めて、仏前に奉納する。
(実際に本堂に行き、お坊さんがお経(般若心経)をあげている中で 個々に卓子に載せ、お焼香をし、お坊さんに一礼して退席)

習字と同じように見本があってそれを書き写すのかと思ったら薄く印刷した般若心経をその上からなぞるように筆で書いていく、それほど難しくないが下手は下手である。それと難しい字があって薄くてカクがわからないのが幾つかあって後で原稿があったらいいのにと言ったらこれから置くようにしますと言ったがどうするか。

こ度のお寺さんは真言宗、手引きのA3四ページの3.5/4はお経の話を見るとお経を重点に置いているようである。その中でも「般若心経」は「般若経」を短く要約されたお経のエッセンスが詰まっているものだそうだ。短い故に省かれている部分もあるとか、「般若心経」を写すことにより難しいお経を唱えたことになるということかこれも信心の一つなのかなと思わされた。最後に、

   『般若経』の主旨「空」の考え方
「空」 
それだけで存在せず、「縁」によって成り立っていること。
ものごとに絶対・永遠はなく、すべて相対・流動であること。

①おかげさま 
自分ひとりで生きている訳ではない。
両親、先祖、家族、友人、地域、会社、社会、天地自然など…。
(様々な「縁」に感謝し、できることから恩返しを。)

②諸行無常 
因(努力)と縁(環境)によって、物事は絶えず変化していく。
過去からの因縁で今があり、今の因縁が未来をつくる。 
(今をありがたく受け止め、一日一日を大切に。半分は流れに任せる。)

③諸法無我
すべては言葉で仮に名付けて区別しているに過ぎない。
「出世魚」「国境」「時間」「善と悪」「男らしさ女らしさ」「私とあなた」「生と死」など…
言葉は、人間だけが有する叡智。これによって文明を築いたが、その反面、言葉に捕らわれすぎると、こころが雁字搦めに。
(ものごとに過度に執着せず、とらわれない心を。)

④一味平等
実はものごとには区別はなく、すべて平等で清らか。
誰で本来の心は、晴天の空のように、澄み渡っている。
(誰に対しても、分け隔てなく、慈悲の心で接するように。)

⑤仏天守護
知恵を磨き、信心あるものを、仏天は必ず守り導く、
こころの安らぎは、祈りによってもたらされる。
(仏天に手を合わせると、心が落ち着き、輝きを増してくる。)

ただ坊さんの話を聞けば聞くほどわからなくなる。四苦八苦で表させる人の苦しみは誰もが経験することであるから分かるように人の有りの儘の姿を語る時にはわかるがそれと結びつけて仏教の話をされると分からなくなる。小乗仏教は初心者向け、大乗仏教は上級者向けとか言っていたが日本は大乗仏教、キリスト教でいったら神学かそれならなんとなくわかる。一キリスト信徒にはわからないものであるから同じようにお経もわからないのが当然かと納得した。分からないところがアリガタイのかもしれないと言ったら失礼か。

長く聖書に触れ、その世界観に生きてきたものにとって違いが明らかに見える。聖書にも「空」はあるがその解釈が違う。聖書は神なしでは「空」なのである。「空」はそれだけでは存在せず、「縁」によって成り立つという。絶対とか永遠はなく、全て総体、流動である。と
ここに輪廻の思想を想い、お釈迦様が死後の世界は語らず今をどう生きるかを求めたと聞いたことがあったがまさにそうなのかと納得した。

座禅も最初は曹洞宗のお寺で壁に向かって座り、所作に細かい指示があり、各々に意味があったように記憶している。別のお寺は臨済宗であまりこだわりがなく、正座は数分しか持たないので「何時間でも座禅をしていることが出来る」とお坊さんが言われたことだけが印象に残っている。だからといって仏教を批判するつもりはない。しかし、日本人の精神構造はどうなっているのかと思うとこのようにかかわらないと分からない部分もあるのではないかと思っている。ある意味で中心部分が曖昧模糊ととしているというのが実感である。これから機会があったら素朴な疑問を投げかけていきたい。勿論論争するつもりはない。日本人の深層心理を知り、そこから何かを生み出せたらと思う。余談だが話の中に宮沢賢治の「アメニモマケズ…」のことに触れていた。あの詩のモデルは内村鑑三の弟子で齋藤宗二郎だとキリスト者の中では語られている。それが頭にあったからそれに触れず宮沢賢治は熱心な法華経の信者で彼が目指している姿だったか仏の姿だったか記憶にないがそのようだと思った。こういう見方もあるのかと再考させられた。パスカルが言われたという「人には神のかたちをした空洞がある」と、パンセにあるのかなと読んだが読んだパンセにはなかった。当然のように結論付けることの問題があることを知った。無学な者には難しいことは無理だが「犬も歩けば棒に当たる」ではないが何か勉強になることがある。キリスト者と言っても聖書を中心とした福音主義の世界しか知らない。それもどちらかというと少数派の根本主義の世界に生まれ育った者である。眺めて切ることは簡単だが相手の立場に添えて語る必要があるように想う。だから受け入れられるというわけではない。学問は勿論のこと世間も知らない者にとっていい勉強になった。

美術鑑賞


先日近くのハーモ美術館に26日までルオー特別展なるものがあるというので行って来た。ここはクリスマス会で二回ばかり使わせてもらったところでもある。小さな美術館で展示してある数も少ない。そして主には素朴派と言われる人たちのものが多い。カミーユ・ボンボワ、アンドレ・ボーシャンン、ルイ・ヴィヴァン、グランマ・モーゼスなどである。と書いているがこれはパンフレットを見ながらそして思い出しながら書いている。この他にも名前は知っているのではルオーは勿論、アンリ・ルソー、アンリ・マティス、シャガール、ダリなどである。パンフレットにはミロやミレーもあるようだったが気がつかなかったか展示してなかったかもう定かではない。

素朴派と言われるように実に絵画は素朴である。それに画家たちは若い時から絵を勉強してというより殆どが労働者として働きながら好きな絵を描いていた。だからか絵を観ているとなんか自分でも書けそうな印象を与えてくれる。しかし、静物も風景画も実に細かく丁寧に書かれているからこれで無理である。それにデューラーの「祈りの手」ではないが長く肉体労働をしていると繊細に手は動かない。それ以上にセンスがない。写実的は絵画と違った素朴であるが眼に訴えて来るものがある。なんでだろうと考えたがわからなかった。名前と絵は一致しないが引き付けるもの訴えて来るものは皆同じである。T'セントホールにはたくさんルオーのものが展示してあったが思ったほどではなかった。宗教画家と言われているから聖書からといっても福音書からのものが多いがその題材は少なかった。それは以前に見たものでもあった。

音楽もそうだがわかるわからないではなく、非日常の世界に浸ることも大切かなと思う。心を落ち着かせ「静」の空間が必要であることを実感した。近いのでまた行って心落ち着かせる時間を持ちたいものである。その延長として売店を兼ねた喫茶室があったのでコーヒーを飲んで少しくつろいで帰ってきた。今回は招待券があったので無料だが入場料は千円、コーヒーだけだったら350円、散歩の帰りに湖を見ながらの一杯もくつろげる。ケーキを追加したらさらにだろうが。