2008年10月5日日曜日

パンくずを拾っている?

 数十人が集う集会(教会)から十人にも満たない集会に集うようになりそれにも慣れてきた。各々の良さがあり、欠点もある。両方を経験できるたことは幸いである。以前札幌の三橋さんが奉仕で来られた時に幾つかのことが印象に残っている。その中の一つに教会員を年代を超えた幾つかのグループに分けていることだった。細かいことは忘れたが一つ家族のようなそんな働きをさせているようだったと思う。
 
 最初の教会(ギリシャ語のエクレシア)の語源は家(ギリシャ語のコイノス)である。当時は大きい家が無かったから今の家庭集会のような形態であったのであろう。パウロもどこそこの家という書き方をしている。教会の原点はここにあると思うと自ずからどうあるべきかそれが出来ない時はそれをどう補うかを問うべきであろうと思うがそのことは余り具体的な形で見ることは少ないように思える。むしろ集会の一致を重点に置いている所為かその集会の形に合わせるように信者をリードしているような気がする。そこに異質な者を受け容れ難い状況にしているように思えるが。
 
 その点小さいところはそういう問題は無いが結構人間臭いからどちらにしても集会に集えること、集える集会があることは感謝すべきことであろう。