「昨日の続きは今日、今日の続きはまた明日」のように月が変わったからと言って特別何かが変わるわけではないが一つひとつの区切りの中に「過去に区切りをつけて新しい未来に希望を抱く」思いがあるのではないだろうか。また、「過ぎ去った日々のよき思い出をこれからも・・・」の思いもあるかもしれない。また逆もあるかもしれない。
今、エゼキエル書を読んでいるが二つのことが繰り返されている。前にも引用したが「わたしが主であることを知ろう」と「次のような主のことばが私にあった」である。彼らの不信仰を通して「わたしが主であることを知ろう」とするのは情けないが我とて同じである。足はは相変わらずであるが今月も一つひとつの出来事を通してこの告白が出来ら幸いである。