2017年10月9日月曜日

人知をはるかに超えて


先月の終わりに二十数名のシニアの人たちと諏訪市豊田にある汚水処理場の見学に行って来た。下水と思うと糞尿で汚いイメージがあるが入ってくる汚水はそれほど汚くない。フラスコのような容器に少し汚れた水と下の方に固形物が少しあるだけ、ここは温泉街もあるので温泉の流したお湯もあるので薄いようなことを言っていた。薄くなっていいと思ったがこれが機械のためにはあまりよくないらしい。処理した水は諏訪湖に流すと諏訪湖の水と違うので諏訪湖の体系を崩すので釜口水門の近くで放流し、逆流しないようにしているとか、川であればそのまま流せるのだろうが湖はそうはいかない。一時汚泥に金が含まれているということで話題になったが今も取れるが以前程ではないらしい。この汚泥を焼いて石のようにして小石のようなものにしてリサイクルしている。当たり前のように生活している中にこのような縁の下の力持ちではないが働きをあらためて思った。

断層があり長野県でも災害が起きる可能性が大の地域である。防災グッズをと言われているがそのことも大切だが災害が起きたらトイレのないマンションになりそうなことをどれだけ意識している人が居るだろうか。災害にはそこまで考えないと耐えられない。

地球はある意味でリサイクルの地球である。汚い糞尿を動物が食べたり、細菌が分解してくれる。汚い話であるが小学生の時に川遊びをしていて大をもようしたので川下で用を足していてフッと振り返ったらどこにいたのだろうと思うほどたくさんの魚が来て食べていた。川の浄化は魚や生物によることの大きいことを知った。

当たり前のように受け取っている地上の生活はこのような目の見えないところで神が配剤されていることを知ることは感謝である。陽射しが弱くなっている今日この頃、布団を干しても前ほど膨らまなくなったがそれでも寝た時の暖かさは気持ちがいい。陽射しは暑すぎず寒すぎないこのバランスに感謝している。正直、冬はもう少し暖かかったらとの思いはあるが寒くなって商売ができる人もいるから思いだけである。

無いものに目を注ぐのではなく、もう少し今あるものに目を注いで感謝する生活を送りたいものである。