2024年4月26日金曜日

健康であること

 歩けなくなってから足がむくむようになってネットで調べるとふくらはぎは第二の心臓であるとあった。ふくらはぎの筋肉が動くことによって血を心臓に送っているのである。動かなかったら送れないから当然むくむのだろう。
 10年から前に椎間板ヘルニヤをやった時もネットで調べて腰のあたりの筋肉の複雑さに驚いた。骨の間に入っている筋肉もある。こんなに複雑だから痛くなるのだ神は何でこんなに複雑にと思ったことがあった。体がスムーズに動くのは複雑だからこそ人は立ったり座ったり走ったり歩いたりすることがスムーズにできるのだろう。
 かつては健康であることが当たり前で肉体的な諸々の動作は当然で??の挟む余地はなかった。しかし、今色々と不都合になって初めて健康であることのめぐみをそしてそれが神から与えられたものであることを教えられる。
 「あなたは罪びとです」と言われた時、善人でもないので否定はしなかった。罪ある者であることは、あるパリサイ人の祈りのように「この取税人のようでないことを感謝します」(ルカ18:11)。と言っていたであろう。今でもそのような思いに駆られる。健康であるときに健康であることのめぐみを知らなかったように罪ある者であることを知って神のめぐみを知るのである。神は逆説的に語られる方だ。

2024年4月25日木曜日

半年検診(術後)

 今日術後半年検診に行って来た。前回一月と同じでレントゲンとCTを撮り、一か所ボルトが緩んでいるが周りが固まっているので問題ないと、後は結果は前回と同じであった。首を上下左右に動かすと以前ほど動かないので時々首の上とか肩当たりの筋肉がこったりすることがあったが最近それが無くなった。
 上半身を撮っているので背中の曲がり具合とか肩の寄り方を指摘されたがこの年ですからまっすぐは無理でしょう。それに性格も曲がっているからまだいいほうみたいなことを言ったら苦笑いしていた。
 わたしは歩くことが一番だがその辺のことはあまり触れずじまいで腰椎もつぶれているとかこれも影響ありと言われたが十年から前に椎間板ヘルニヤをやっているが痛みがないのであまり関心がなかったが影響あるのかなぁと内心思った。
 先生は自分がやった手術には関心あっても私がこれからどうリハビリして行ったらいいかとかの関心はあまりないようである。術後一年の結果がすべてであるらしいからそれまでリハビリをしてもう少し歩けるようにと思っているがこればかりはやってもどうなるかわからない。それでも頑張ろうと、それで五月に入ったら健康センターでリハビリを兼ねた運動の指導を受けようと思っている。
 さっき藤棚まで行って歩いてきたが三周がやっと、今日は病院とスーパーなどにも行ったので900歩あまりカウントしていたから435X3=1305+900=2200と久しぶりに2000歩を、まぁ無理をせず少し頑張って半年後にもう少しましな姿を先生に見せてと思っているが現実はどうなるか?楽しみである。

2024年4月24日水曜日

三つの試み

 共観福音書の中にイエスさまが公の活動をされる前に悪魔から誘惑を受けたことが記されている。捕らえられる直前のオリーブ山で「苦しみもだえて、いよいよ切に祈られた」とルカは記している。へブル4:15に「罪を犯されなかったが私たちと同じように試みにあわれた」とも書いてある。悪魔はイエスさまが人として来られたが私たちのように罪を犯すことはないことを知っていたはずである。なぜ試みをなし、マタイやルカは詳しく書いたのだろうかとふっと思った。これはわたしたちに語られたメッセージのように思えた。
 「石をパン」に、「神殿の頂から地上」に、「地上の栄華」をと悪魔は語られた。これは適切な言葉が浮かばないが「能力」「カリスマ」「権力」と捉えわたしたちが持ちたいと思っても持てないものである。これに独裁者がチャレンジしてきた。しかし、張子の虎のように終わっている。キリスト者でも行きつくところは異端で終わっている。わたしも求めたいがこの三つは対極にあるもので望むべきも非ずである。
 わたしたちを生かすものは「神の口から出る一つ一つのことばによる」そして「主を試みてはならない」と、信仰持って半世紀以上、ここまで守られて来たと思いながらも波間に漂う木の葉のような定まることを知らない信仰の薄き者である。「主を拝し、主に仕える者」でありたい。

2024年4月23日火曜日

うなぎ

 町内の商店で使えるチケット何枚かあって五月で切れるので色々とお世話になっていた義妹を夕食にと誘い、チケットを使って駅前の川魚店でウナギを買ってきて食べる。おいしかったが円安の所為か?お値段がうなぎ上りになっていた。これでウナギは当分お預け…。

これで三人分










2024年4月22日月曜日

ゆたんぽ

 久しぶりに町の温泉ゆたんぽへ行って来た。いつかと思っていたが足が覚束ないので延び延びになっていたが半年ぶりである。いつものように露天風呂に入って体を温め、それから中に入って体を洗い中の湯船で上がり湯を上がって、体力がないのでゆっくりとしか着替えられない。ほかの人はサッサと着替えてサッと出ていくのを見て我はゆっくりとであると実にスローペースで・・・。
 ロビーでいつものようにコーヒー牛乳を飲んで帰ってきた。温泉は体がほぐれて温まり気持ちがいい回数券を買ったのでこれから直ちょく通える。
https://shimosuwaonsen.jp/spa/1041/

2024年4月21日日曜日

群衆の中の一つの顔

 若い時に見た映画の題名である。あの頃は映画と映画音楽がヒットしていた時代である。エリア・ガザン監督でこれより前に制作されたエデンの東はジェムス・ディーンをスターにし、主題曲は日本の軽音楽のヒットチャート一位を三年か四年続けていた。ジェムス・ディーンが亡くなったということもあるがすごいことだった。
 半世紀から前の話で細かいところは忘れたがこんなストーリだった。
「ラジオ局の女性のアナウンサーが下町でギターの弾き語りで歌っている青年を取材し録音してそれを放送した。これが聴衆に受けて定期的な番組として放送される。人気もうなぎ上りに、しかしそれと同時に彼の奔放さも現れる。たぶん女性関係も然りだったと思う。色々お世話になったアナウンサーをないがしろにし、マイクオフの時には徴収を小ばかにするようなことを平気でしゃべっていた。これを女性アナウンサーは聞いていて、こっそりとスイッチをオンにする。これを聞いていた聴衆は憤慨し彼の人気は崖から落ちるように落ちしまう。」
 最近、国会議員の言動が話題になっている。ユーチューブでも賑やかである。今、衆院補選の東京都の江東区15区が話題になっている。都知事の学歴詐称問題に端を発して賑やかである。身内から告発されるというのはその人の人物像がなんとなくうかがい知れる。
 群衆の一つの顔に過ぎなかった青年が熱狂的な人気を得るがサポートしてくれていた人たちに対する配慮が何もな利用するだけの姿はどこかダブル。チラッと都議会の委員会の質疑がユーチューブに載っていたを観たが政策というより何かの駆け引きを見ているようで「お前ら議員だろうちょうちん持ちみたいなことをするな」と思わずつぶやいてしまった。計算して生きる人生、それもいいかもしれないがどこか悲しい。これがいい。
prov 28: 6
貧しくて、誠実に歩む者は、富んでいて、曲がった道を歩む者にまさる。

2024年4月20日土曜日

歩きは

 月曜日に県境富士見町まで行ってなんだかんだで往復80キロからになった。車の運転は一月末から乗り始めて一月は26キロ、二月は31キロ、三月は75キロと、そして月曜日に一日で三月を超えた。手術前は100キロから200キロの間を前後している。足が少し不自由になってからの走行距離である。その前は時折遠出をして400キロとか500キロを走っていた。運転の距離は手術前に戻りつつあり、そしてこれを超えたい。
 運転はまぁまぁだが歩きが今一進展がない。元のようになることはないと言われているので期待しないがどこまで回復するかである。久しぶりに藤棚の下を歩いてきたが三周と直線を往復したので精いっぱいだった。行く前にスーパーなどに行ったので300歩ほどカウントしていて二千歩、以前は500歩前後だったが今回は400と2、30歩である。進展していると言えるのは歩幅くらいであるが膝が少しいいかなと思っているが気の所為かなとももう少し歩いてみないとわからない。「無理せず頑張る」をモットーに、25日は半年の検診、1月の検診時よりマシになっているようにと頑張ります。