10年から前に椎間板ヘルニヤをやった時もネットで調べて腰のあたりの筋肉の複雑さに驚いた。骨の間に入っている筋肉もある。こんなに複雑だから痛くなるのだ神は何でこんなに複雑にと思ったことがあった。体がスムーズに動くのは複雑だからこそ人は立ったり座ったり走ったり歩いたりすることがスムーズにできるのだろう。
かつては健康であることが当たり前で肉体的な諸々の動作は当然で??の挟む余地はなかった。しかし、今色々と不都合になって初めて健康であることのめぐみをそしてそれが神から与えられたものであることを教えられる。
「あなたは罪びとです」と言われた時、善人でもないので否定はしなかった。罪ある者であることは、あるパリサイ人の祈りのように「この取税人のようでないことを感謝します」(ルカ18:11)。と言っていたであろう。今でもそのような思いに駆られる。健康であるときに健康であることのめぐみを知らなかったように罪ある者であることを知って神のめぐみを知るのである。神は逆説的に語られる方だ。