2008年9月17日水曜日

秋の特別セミナー

 15日の祝日に福岡にある栄光病院院長の下稲葉先生の聖書講演を聴きに行った。演題はタイトルにある名前だったが聖書講義と証と言ったほうが正解かもしれない。引越しする時に大橋さん母子から頂いた下稲葉先生の書かれた「いのちの質を求めて」 を読んでいたので少し先生とホスピスのことは分かっていたが実際に聞いて見て頷くことが多くてとてもよかった。

 以前精神科医の平山先生の時もそうだったが聖書講義そのものではなかったかと思ったが今回もそうだった。クリスチャンとして大上段に構えてと言うより自然体でやっていることに何か感動したことを覚えている。今回もそうだ。患者に信仰を強制するのではなく、死を迎える人に自然に死の向こうにあるもの永遠なるものを示して死に行く者も残された者も希望を持って死を迎える。集会ではこのようなことは欠けているように思える。

 滅びを強調するのではなく、今苦しんでいる本人を始め家族のその苦しみを理解し解決の道を示す。あるいは担えるところは担っていく、まさに「苦しむ者と共に苦しみ、喜ぶ者と共に喜ぶ」キリスト者の姿がある。さしずめ教会で「永遠に滅びるから信じなさい」と適切ではないがこんな感じで伝えることであろう。二人の先生に共通するのは医者として、キリスト者としての謙虚さである。もちろん大胆に語り行動するところもあり、信仰を持ってやっているところに強さがあるような気がする。自分には欠けているものでもある。

 福音を語る姿勢、内容が自分サイドではなく、相手の立場に立って語ることの大切さを確認したような気がする。このところ何処か釈然としないものがあって、もやもやしていた。最近あっそうかと頷けることがあって、そのもやもやがすっきりし、自分の考えていることに確信が与えられたような気がするから感謝である。今回もその感触を得た。日々の生活の中でどのように福音を語るかを考えないと。