2008年12月9日火曜日

もう九日、誕生日、クリスマス会

12月に入って初めて書くことになる。
当たり前のことだが12月は最後の月で、昔ほどではないにしてもなんとなく気忙しい。それと5日が誕生日で68歳になった。見掛けは若く見えるが中身はそれ相応に年をとっている。特に記憶力は加速度的に衰えてきている。覚える記憶力は限りなくゼロに近く、生活していくための記憶力はまだ大丈夫そうだが聖書の箇所とか本を読んで覚えなくてはならないものは、すがる藁さいもないという状況である。
まぁ、もう覚えなくてもよいと言うことであるかもしれない。ここに来て5ヶ月、ここで何とかできるのは70までだろうと思っている。後2年間何とか頑張って、集会の土台が築かれたらいいなぁと思っている。ここで何かを残すつもりもないし残せない。老兵は消え去るもの、それも静かに・・・。

7日にM兄姉が来られて、一応クリスマス会ということで、彼が千葉のI兄姉に声をかけてくださって、千葉の市原から日帰りをして下さった。聖歌だから譜面通りに弾くのかなと思ったら本格的に弾かれたので感激した。彼らが結婚の時からだから長い、それに姉妹のご両親は以前一緒に集っていたから更に古い。お二人は召されて、共に認知症を患っていたようだが後半は良く知ることはなかった。店も閉め集会の責任からも離れていたからどちらかと言うと没交渉。ここでまた再スタートのようなものだ。

何時もはクリスマス会をやっていたがそれは一般のクリスマスと似たようなことをやっていたらしい。昨年は、何時もやっていたクリスマス会を事情があってやらないことにしていた。しかしM兄が来てくれるということで月の初めのクリスマス会となった。簡単なもので特別何をやると言うものではなかったように記憶している。今回も月初めになり、それでも彼が声をかけてくれて音楽付のクリスマス会となった。何時もの方とY姉の友人にS姉の友人が東京から諏訪に来られるので声をかけたら来るというので、新しい人が3人来られて、皆さん喜んでくれた。東京から来られた方は何度か癌の手術をされているようで、それでもお元気だった。前に住んでいた所の同じ駅を利用される方で向こうに繋がってくれるといいなぁと思った。

我が家で彼らと夕食を共にし、6時過ぎに電車の関係でI兄姉を送る。食事も終え、交わりの中でM兄は12月いっぱいで会社をリストラされることになったこと、来年から伝道者として立つことを話されて、その不思議さに驚かされた。彼が喜んで話をしているので暗さはないのがクリストにある素晴らしさである。それに何時立つのかと多くの兄姉は思っていたからどういう形にしろホッとしているだろう。ビリケツの営業所をトップから4番目まで上げ、3番目も視野に入っていたようだから、何故という問いは社内でもあったようだ。退職金の関係で勤務年数が少ないという理由らしいが妬みもあると部下が言っていたそうだ。彼自身もある程度の実績を残して、引き止められるのを振り切って、専心する思いがあったそうだが思いっきり砕かれたようだ。それに姉妹の踏ん切りと家族への証がこのように解決して喜んでいた。主が用いられるのは能力にあらず。どれだけ砕かれているかにかかっているようである。

その後、彼がNさんに幾つかの質問をして、彼女もそれに答えて、、自分の罪を認め、イエス様の十字架が自分の罪のためであったことを告白した。周りに自分はクリスチャンになるかもしれないといっていたそうだから驚かされる。見た目はささやかでも素晴らしいクリスマス会だった。そこに居合わせたことを静かに主に感謝した。皆が帰った後、二人で祈る。そして子供の立ち返りと救いを・・・。