2014年4月14日月曜日

神は愛である

「神は愛である」(1ヨハ4:16)(口語訳)

サルが信仰を持った頃、クレージーキャッツの植木等さんが折り畳み傘のコマーシャルで「なんであるアイアデル」というのをやっていた。これでこのメーカーはだいぶ儲かったようだ。しかし時代の流れかこのメーカーも廃業したように聞いている。蔵前や御徒町、上野に隣接しているところである。あの辺は小間物雑貨屋の問屋さんが多かったように記憶している。余談だか上野、御徒町、秋葉原、神田と昔からの町は色々な業種の問屋が集まっている地域でもある。もうビルが建ち並ぶオフィス街に代わってしまった地区もあれば今も健在な地区もある。数年前の話で現在はどうなっているかわからない。あの辺はどこか懐かしいところでもある。それと名前は忘れたがある落語家が「神は愛である」を笑いに使っていたように記憶していた。もしかして福音?そんな印象なかったなぁ。そんなことでこの言葉はあまり好きではなかった。むしろコリント前書13章、こちらが印象は強い。前にも書いたがカトリックのラジオ放送で「心のともしび」の冒頭で女優の河内桃子さんが「どんなに美しことばももし愛がなければ相手の心に響かない」(正確な言葉を忘れたが)を聞いて、あぁいい言葉だと思った。聖書に関心をもった最初の言葉でる。

最近でもないが「愛」について考えたりしている。罪の故に創造のみわざは損なわれたけれどそれでも根底に愛があるような気がする。春は勿論だが厳しい冬の季節でも何かを守っている雪のやさしさを思う。(こんなこと書きながらチョッと前までは寒さでヒーコラ言っていた)被造物の中においても「愛」は完全ではないが見ることができる。罪はどこか否定的である。その発想で物を見、また見えてくるからいけないがまだまだ豊かな愛で満ちているような気がする。そこにあるのは「神=愛」だからである。愛のないサルだが「神を愛し、被造物を愛し、人を愛して」行こう「神は愛です」から・・・。