2016年12月1日木曜日

雅歌からイザヤへ

雅歌からイザヤに読み始めたがまさに一転しての感がある。イスラエルの民に語りかける神のことばは厳しい。しかし、

s_of_s 5:16

そのことばは甘いぶどう酒。あの方のすべてがいとしい。エルサレムの娘たち。これが私の愛する方、これが私の連れ合いです。


「あの方のすべてがいとしい」、恋は盲目と言われれば乙女は表面的なものだけを見て言ったのだろう。と見ることも出来るイザヤは言う。

isa 53: 2
彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。
isa 53: 3
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。



「私たちが慕うような見ばえもない。」、「人が顔をそむけるほどさげすまれ、」た方である。このような方に「あの方のすべてがいとしい」と告白することと捉えたらなんと素晴らしことだろうか。この方の本質を知っているということだ。福音書に登場するイエス様に声をかけられた一人一人は、この告白をうちに持っていたのであろうことを想像する。主を知る知識はこんなところからと・・・。