2017年8月3日木曜日

懐かしい名前


ジム・ウォリス著・小中陽太郎監訳という本を読んでいる。題名は長いので端折るがこの本の目次の手前に小さくこのようなことばが記されていた。

      両親と
      A・P・ギブスの思い出と
      福音を生き生きとさせている
       ぼくの伝統の中のエヴァンジェリストたちに

とあった。
A・P・ギブス?どこかで聞いた名前であることを思い出し、そう伝道出版社から出ている「礼拝」の著者である。出版社のHPを見たら今も発売されている。礼拝の古典と言ってもいいのではないだろうか。勿論諸集会と教会では礼拝の認識は少し違う。しかし、原点に返るという意味で、もう一度読んでもいい本である。写真の表紙などを見ると昔と変わらないようであるが値段が1750円とあった。ちなみに超古本になっている我が本はプライス200円、出版は昭和35年12月となっている。自分がクリスチャンになる5年前に出版されている。

ジム・ウオリスは集会の人のようである。集っている者としてはうなずけるが集会の様子をこのように書いている。
「ぼくの家は、さまざまな人たちのために解放されていた。後に子どもたちが成長して家を離れてからは、泊まる場所を求める人、大学生、家族の友人、問題を抱えた十代の少年たち、火事で焼け出された一家などのために、家がいっぱいになるということもしばしばあった。こうして絶え間なくやってくる誰もが、両親と、個人的な問題、霊的な問題、そして結婚問題について話し合っていたことを覚えている。そのほとんどは、僕たちの通っていた教会の人々であった。その教会は、プリマス・ブレズレン教団、またはプリマス・プレズレン集会と呼ばれていたが、牧師などの教職者を持たずに、牧会的務めや指導は、各個教会の一般信徒から選ばれた長老たちによって分担されていた。ぼくの少年期から青年期にかけてのほとんどのあいだ、父は教団の筆頭長老を務めていた。一方ではエンジニアや実業家として働きながら、父は牧会的な務めとして、説教や教会教育、結婚式や葬式などの仕事にも携わっていた。そこで僕は、説教者の息子として育てられるという経験をすることになったのである。
両親は長いあいだカウンセリングの仕事を行っており、また教会に来る夫婦のために「結婚相談」の講座を指導していた。実際には二人とも牧師としての務めを果たしていたわけだったが、公的には父だけがそうした牧師的な存在として承認されていた。というのは、プリマス・ブレズレン教会では、女性の役割が徹底して従属的なものと見なされていたからである。女性は髪に被りものをしなければならず、礼拝で説教することは許されなかった。また子供や女性を相手にする場合を除いて、何であれおおやけの指導的な役割につくこともできなかった。けれども女性たちは、事実上さまざまなことで共に教会をささえていたのである。」
と書いてあった。そして別な個所ではA・P・ギブスの人となりを書いている。礼拝という本を書いているから堅物かなと思いきや実にニューモラスな方らしい。これは次回に…。