2008年2月11日月曜日

聖書は三書

 以前、内村鑑三が書いたと言われた言葉で「神を示すものは聖書と天然と歴史である」と何かで読んだので参考のために検索したらテサロニケⅡ2/1-12の学びの中に有った。ただしくは「…聖書は一書ではない。三書である。聖書と天然と歴史である。そして聖書の鍵が預言である。われらは預言によりて歴史の意味がわかるのである。」と書いてあった。’29.11.20とあるから私が生れる11年前に書かれたものだ。

 聖書は唯一であって他のものは無いような事がメッセージの中で言われるがロマ書や使徒の働きの中に被造物を通して神を見ることができることが書いてある。歴史も然りである。それで思い出すのはイスラエルの国が起こされた事である。2千年の間、まさに流浪の民として生き、迫害をそれもキリスト教国といわれた国で受けてきた。その民が約束の地パレスチナに国を興したのである。

 「神が日本に残した指紋」同様に創造主がすべてを創造したとすれば、全人類に、形を変えて、それなりの形跡が残っているはずであろう。勿論扱いは慎重にしなければならないが福音のきっかけの糸口となりうるもののように思う。