2008年3月28日金曜日

伝えるということ

 岡谷に引っ越したいということで昨年から何人かの人に話をしてきた。
その中で、自分では充分伝えたつもりでも相手に上手く伝わっていない事を実感する。
私の伝え方は何となく漠たるものなのかもしれない。曖昧模糊とした伝え方は誤魔化すのには良いが、例え相手が善意であっても取り方でどうにでもなるような気がする。以前から言葉をもって相手に伝えるということが下手である事は自覚していた。今回でそれを再確認させられた思いである。指摘されることは気持ちの良いものではないが感謝なことでもある。
 5W1Hの
When   いつ。
Where  どこで。
Who    だれが。
What    なにを。
Why    なんのために。
How    どのように。
 少し違うかもしれないが、岡谷に何時?何処に住むの?誰と?飯高さんに俊厚もと聞かれたからそうかと思った。何をするの?何故?どのようにはないか。
 6月を目途に、市内か下諏訪辺りで、家内と、引越しを、集会に集い我が信仰の成長うのために、そして兄姉とそれを分かち合いればとの思いがある。
 もう一つは自分のペースで生きているから集会とか他者のことをあまり考えない。集会から送られて行くのではなく、自分で行くのだからとの思いもある。関係者だけにみたいな感じかな。でも祈ってもらわなければ成らないし、送り出されるということも大切なのかもしれない。向うは向うで受け入れという事もあるだろうし、難しい事だがいい勉強になった。