2008年4月28日月曜日

洗礼式

 今日は二人の姉妹の洗礼式があった。
信仰生活40年もすると特別感動する事もなくなった。良い証しをするしそれなりに感動する。しかしそれからの信仰生活に裏づけがないことが多いからかもしれない。またどんどん積極的になっていく人たちもあるから何処にその分かれ道があるのだろうかと思うと本人よりも指導者の用い方によるような気もする。そこに信仰的でなく人間的な要素があるような気がする。そして何処かに建前があるような気もする。
 今集会に来ていない人、また集いない人、これらのフォローをどうするのか何時の時代でも大切な課題でもある。そして答えを見え出していないような気がする。教会には宣教という大きな課題があるために他のものは付随的になっていないだろうかと思う。色々課題があるから岡谷なんかは良いヒントを与えてくれるような気がする。
 集会の帰りに成田姉のホームを訪ねた。気になっていたが行く機会がなかったので集会の帰りに行く事にした。久し振りで訪ねたから彼女も何しにきたのという顔をしていた。少し進んできているのかなとの思いはあったが色々話をしていく中で少しづつ話が弾んでくるようになって来た。最初余り表情のない顔が帰りには大分変化を見ることができてうれしかった。聖書の話も建設的な話も出来るわけでもないから直接的な益を感じないかもしれないがこれも大切なことではないだろうか。