2008年10月20日月曜日

昨日は

 昨日初めて我が家で食事をすることになった。総勢9人テーブルが小さい。みな喜んで食べてくれたはいいが食べるのが目的ではなく、交わりが目的であるから食事はそこそこにしたほうがいい、次回からそうしよう。何時も書いていて思うことは色々あるのにいざ文章にしようとするとうまく書けない。それで毎朝デボの時、前日に感じたことを短くノートに書いている。たくさん書かないから割とスラスラと書ける。 感じていることを書くというのは難しいものだ。

 初めてでもないが今回午後の司会をするようになって、感じたことは午後の時間がチョッと長いかなと思った。今回はT兄が30分ばかり話をしてくれて持ったがM兄が他の兄姉を連れて行ってもいいかと云われたことはこのことかなと思った。それと経堂では若い兄弟が話す機会がないけどここで証のようなものを話せれば兄弟の訓練にもなると思ったのだろうか。彼の考えを少し教えてほしかった。

 わたしたちは積極的ではないし、このようなことは余り考えない、むしろ信者のことを個々に考えてどう対処するかという視点に立ってしまうから大局的に立って見ることは得意ではない、いうなれがバイプレーヤーだ。それはそれでいいがでもこの集会を家庭集会の延長のようなものではなく、小さくてもチャンとした集会にとの思いがあり、その為に兄姉をどのように意識を変えていくかわたしたちの課題のような気がする。ということは大局的な思考か。