2008年10月20日月曜日

福音を語る

 福音とは神の存在、罪の問題、キリストの十字架、救いを語ることである。どのように語るかは語り手の資質が問われるような気がする。このことを単純に語れても聞く側がどうであるかということをあまり考えていないのではないだろうか。福音をストレートに語っていても実は語っていない。相手を見て法を説く、ではないが相手に合わせて語らなければならない。そうでないと岩地に蒔いた種のようなものである。種まきのたとえは農夫は畑に種まきに行って、たまたま道ばたに岩地に、そしてやぶに落ちてしまったものがあったということで、そこで落ちた種はこうなるということだと思う。農夫は種を蒔くならよく耕して種が根付くようにする。人の心が岩地のようなところに蒔く事は専門家であれば愚かなことである。福音を語ったからといってそれでいいというものではない。むしろ愚かである。人の心を耕す努力をしなければならない。パウロのが言うように、「わたしが植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。」(1コリ3:6)ともある。植えるか水を注ぐかは問題ではなく、キリストにある賢明な農夫でありたい。