2008年10月21日火曜日

救われるということ

 あるブログでといっても知っている方のブログだが、そこに裁きを語って、救いを語ることについて批判的な書き方をしていたのを思い出す。 わたしもそのことについて釈然としないものを感じている。神はただそれだけのためなのかそれではご利益宗教とどこが違うのだろうと感じてしまう。イエスさまはもっと深いところでわたしたちに語っているような気がする。それは親子の関係を見ればよくわかる。そこにあるのは親子の絆ではないだろうか。勉強が出来なくても大病を患っていても大切なのは絆であり、それをお互いに確認できることではないだろうか。神も私たちに求めているものも然りだと思う。その一つが滅びからの救いであるがそれ以上に神はわれらのとの人格的な結びつきを求めているような気がする。