2009年1月27日火曜日

パンを焼く

こちらに来るときにどうしょうかと思ったことの一つにパン焼き器がある。外見は綺麗だが、最初に出た製品だから20年近くになるのではないだろうか。処分するつもりだったが家内が生地を煉るだけでも使いたいからと持ってきた。しかしそのままになっていた。いつだったかスーパーの棚にパン用のパン粉が売っているのが目に留まったので買ってきて、早速パンを焼いてみたが変わりなく焼けた。外側は硬く中はふんわりしている。家内は嫌いだが私はフランスパンのようで好きである。今日もパンを焼く、といってもパン粉に砂糖、塩、それにミルクと水を入れてスイッチを入れるだけ、4時間後には焼きあがる。特別何かを必要とするものはない。

ドンドン新しいのが出ている時代に20年も経った製品を使うのは貴重かもしれない。引っ越し案内を出した以前お客さんだった方が、「最近とうとう冷蔵庫が駄目になりましたが洗濯機はまだ良く動いています。保証書は昭和53.5.27で、この家に引っ越して来た日で色々な思いがよぎりました。…30年余り、月日が夢のようです。」とハガキをくださった。とっくに買い換えていると思っていたのに大切に使ってくださっていた。うれしいと同時に、主が用いられるのはこのようなものではないだろうか。人が捨ててしまうようなものを主は拾って用いる。どこに価値を置くか福祉作業所で働いて教えられたような気がする。少なくとも人の観点と神の観点は違うようである。