2009年3月2日月曜日

あるギャップ

日曜日に月に一回くらいの割で話をする。今回は「善悪の知識の木」から話をした。本当は「いのちの木」と二つ話そうと思って準備していた。でも準備していると、明らかに長くなるので「いのち」の前に「善悪…」を話すことにした。食べた結果について、人間の善悪の基準のあいまいさを戦争の人を殺すことを例にとって話をした。本当はヒューマニズムについても話したかった。ある面で素晴らしいが「人間主義」である。罪がここに隠されていると思っている。わたしの話は知識のある人はこういうこと言いたいのかと憶測してくれるが、そうでないと皆目わからないというのが昔からのような気がする。自慢することではないが。

聞くほうは神の善悪とは?とか質問されて困った。神の善悪って?これは人間に適用されるもので、神には悪がないからと考えたこともなかった。確かに神の前に正しいか間違っているかという点ではある。「善悪」とあると人間の側の善悪と直結するからおかしくなるのではないだろうか。「善悪」は人間の側にあるのではなく、全知、全能である神であるからこそ神の側にあるように思える。だから被造物である人間は、せいぜい裸であることがわかるくらいではないだろうか。その結果の悲惨さは人間の歴史が証明している。神から断絶は、イエス様を通して、本質的に「愛」であることを教えられる。感謝である。