2009年3月27日金曜日

奇跡のリンゴ

 お気に入りに入れている小渕さんと関根さんのブログに紹介されていた本を図書館に予約して、昨日ようやく入ったので早速借りてきて読む。一気に読むが夜中の2時までかかった。お二人は色々書かれていたが私はそれ程書けない。

 農家に育った者としては、農薬の功罪を知っている。昔父が手紙の中に、今は楽になった農薬で草取りをしなくていいと書かれて良かったと思ったが、それから大分経ってから田舎に帰った時、魚取りをした用水用の小さな川が植物も魚もいなくて生物のいない川を見て、複雑な気持ちになったことを思い出した。木村さんと回りの農家の気持ちも分かるような気がする。どうも木村さんのリンゴは不ぞろいで、傷もあるようだ。それでも美味しいからと買ってくれる人たちがいる。スーパーで形のそろったきゅうりなんかが並んでいると、明らかに農家で細工をしているなと思うことがある。消費者は外形にこだわる。工場で作るのではなくて自然相手であるから不ぞろいが当たり前、それを拒否する姿勢に憤りさい感じる。

 レイチェル・カールソンは沈黙の春にDDTが人体に危険であることを指摘している。それも戦前ではないだろうか。小学生の時、女の子の頭を真っ白にしたあのDDTである。フレオンガスは私たちに快適な生活をもたらしたがオゾンを破壊している。公害の原点である水俣病は企業の営利を優先した結果だ。沈黙の春にも企業と役所が同じようなことをやっていることを見る。利便性を求めれば、弱いところの人が犠牲になる。

 農薬のことでこんなことを書いたが逞しくなったリンゴの木を見て、過保護ということばを思い出した。現代は何から何まで過保護だなぁと思う。キリスト者も然り、私なんかもその最右翼だ。それを知ったからといって逞しくなれるとは限らない。