2009年4月17日金曜日

水泳教室

 市民プールで水泳教室が2ヶ月サイクルで行なっている。昨年暮れに「かんたん平泳ぎ」の講習を受け、何とか25メートルを泳げるようになったが、この間久し振りに泳いだら25メートルは泳げなかった。4月から始まった「かんたん平泳ぎ」をまた習うことにした。既に始まっていて、2回目だったが1回目は誰も来ていなくて、今回は私一人、準備体操をしていたら前に一緒だった年配の女性が来てホッとする。
 
 今回も初めから教わって、お互い既に教わっているのだが相変わらずは同じでここでも何処かホッとする。でも私より彼女の方がうまそうな気もする。呼吸と浮くことと前に進むこと基本の基だがすべて難しい。前回よりも基本的なことを入念に教えてくれているから解り易い。あるいは一回聴いているからかもしれないが。今回で何とかターンして泳げるようにしたい。そうでないとプールには入れないような気がする。

 私は何事も自己流で水泳も浮くくらいならできるがそれ以上は出来なかった。雪国育ちだがスキーも正にすベれるだけでターンとかはあまりうまくない。今は滑れることすら疑問である。わが道を行くタイプなのであらゆるものが自己流である。信仰も然り、ある時から?が良くつくようになり、まさにトマス的信仰である。そうなさしめた一つに、聖書から明確に語られていくなかで、知識、信仰は素晴らしくても、その人が変えられていないのではと思わされていることである。聖霊の働きにはそのことを含んでいないかのように見える。

 私たちのうちにある闇を不信仰や罪として片付けていないだろうか、そういう形ではないような形で直視する必要があるような気がする。偶像崇拝とか罪に関しても然りだ。パリサイ人が汚れると避けていたことをイエス様は平気でやっていて、勿論汚れることはなかった。キリスト者もその危険性を持っているような気がする。偶像はいづこに・・・。