2009年4月24日金曜日

メッセージ

 今インターネットで牧師のメッセージが聞ける。何時も聞いているのが一つ、昨日は別のを2つ聞いてみた。聞いていると講解説教ばかりだがそれもチョッとしか話さなくて、色々は話題を組み込んでいる。さすが話すのが商売?と感心する。それと時間を見たら30分前後だった。思ったより短いのに驚くがこのくらいがいいのかもしれない。それと罪だ救いだとストレートに語っていないような気もする。信者が主の所為なのだろうか。

 集会はメッセージは45分は最低で1時間が普通、メッセージも罪と救いはきっちり話されるような気がする。福音主義ではあるがしかしと批判される方もいる。わかるような気もしないでもない。話が長いのと内容が堅いのが少し気になるが今は大分工夫しているようにも思う。聖書の使信を損なわれることなく、尚且つ柔軟な姿勢が必要なのだろう。集会はそのような可能性を持っているように思う。と書きながら話すのは…。