2009年4月28日火曜日

信じるということ

 東京にいるときには色々なことを当然のように受け取ってきた。そして大勢の中にいると自分というものが見えるようで見えない事をこちらに来て教えられた。それと私はいい意味でも悪い意味でも現実直視だからそれで判断する。これだと長期展望が出来ない。それと現実の出来事で、多くは心の中でのことだが右往左往してしまうきらいがある。そんな時にはイエス様が画餅のように頭で理解で来ても自分の内に働いてこない。今の悩みはそんなことだ。最初にここの題を「ギヤチェンジ」としてみた。変えるという意味では確かにそうなのだがそれは行為であって、信仰ではない。信仰から来るものであるかもしれないが。主を信じる。みことばの約束を信じる。難しいことであるが最終的にはここに来るものかなと思っている。桃屋の佃煮のりに「何はなくとも江戸むらさき」というコマーシャルがある。捩って「何はなくとも主を信じる」。ほんとに何にも無いんだよなぁ。