2009年10月2日金曜日

いのち

 ブログで案内されていたT姉妹の「偲ぶ集い」と「昇天記念式」のメッセージがアップされていたので家内と聞く、二人の息子さんと集会の姉妹とY兄が短いコメントをされ、メッセージはT 兄がされていた。それぞれの思いが語られ、それぞれの人となりを感じて感動する。Y兄のときは思わず責任者は泣かないでと・・・。
 一人の死がこれほどまでに感動を与え、人々の心に響いていくのか、姉妹の人となりを知る。正に死は終わりではなく、勝利した姿であることを教えてくれる。

 先日、上諏訪の教育会館でシニア大学主催の講演会があり、勧められたので行ってきた。「命の歌 乾電池が切れるまで」という11歳でお子さんをなくされた宮越陽子さんのお話だった。お母さんの言葉は下記のHPを見ると同じような事が書いてある。
 宮越由貴奈さんは5歳の時に「神経芽細胞腫」を発病。5年半の闘病生活の末、98年に11歳で亡くなった。亡くなる4ヶ月前に院内学級(長野県立こども病院)の授業中に「命」という詩を書いて、その詩はかけがえのない命の大切さを訴え、自分の命も人の命も大切にしようと訴える。院内学級の友達は生きたくても生きられない(何人かが亡くなっているのを見ている)を見て、命の大切さを訴える。

 この詩が話題になり、テレビドラマ化され、詩に曲がつけられて歌われ、多くの学校の道徳の時間に教材として由貴奈さんのことと詩を題材として取り上げられる。その中に、ある学校のクラスで深刻ないじめがあり、担任の先生は苦慮の末、授業でこの詩を取り上げ、そこには涙しながら授業を受けた子供さんたちの姿があった。その後の意見交換で、宮越さんにお礼に何か送ろうと決めて、みんなでタペストリーを作り始める。なれない針仕事に、指を刺したり、みんなが苦労して完成したときには、クラスからいじめがなくなっていた。講演会ではこのタペストリーを展示してこのエピソードを話されているようだ。http://www.clover-leaf.org/photo/inochi.html
 http://homepage3.nifty.com/yabuyama/zakkiinoti.html

     命      宮越由貴奈 小四

命はとても大切だ
人間が生きるための電池みたいだ
でも電池はいつか切れる
命もいつかはなくなる
電池はすぐにとりかえ
られるけど
命はそう簡単にはとり
かえられない
何年も何年も
月日がたってやっと
神様から与えられる
ものだ
命がないと人間は生
きられない
でも
「命なんかいらない。」
と言って
命をむだにする人もいる
まだたくさん命がつかえる
のに
そんな人を見ると悲しくなる
命は休むことなく働いているのに
だから 私は命が疲れたと言うまで
せいいっぱい 生きよう

 講師のお母さんである宮越陽子さんは最後に由貴奈さんがこんなときは家族がバラバラになるのに一つにしてくれた事、家族を楽しませてくれた事、今も支えてくれている事、そして由貴奈さんが一生懸命生きた事を話される。
 感動を与えてくれたが一つ残念なのは、亡くなった先に何も見えないことである。そういう意味でキリスト者にはその先にもっと素晴らしい約束があることを教えてくれている。これをどんな風に伝えられたらいいのか・・・。
 何でもある日本ではあるが「命」は実に軽く扱われている。この「命」をもっと大切にしなければ「永遠の命」はさらに難しいような気がする。
T兄のこれからの働きを期待し祈りつつ、地上の命と永遠の命をフッと考えた。