2009年10月6日火曜日

過去に生きる

 半世紀も前の話だが鬼押し出しの近くに浅間高原レースというオートバイのレースがあった。未舗装のためにカーブの部分はえぐれてしまうのでベテランのレーサーはそこでブレーキを踏んでしまうが経験のない若者はそこを一気に行ってしまうことを本で読んだのを今でも頭に残っている。当時もオートバイが好きな若者は怖さ知らずで一般道もスピードを出して走っていたのだろう。乗用車よりもオートバイのほうが早い時代だった。

 自分の現在は過去の積み重ねの上にある。いい意味でも悪い意味でもそのことが自分の現在を形成している。多くの場合過去を引きずって生きてきたのかなと思う。クリスチャンは本当は前向きなのだが過去の出来事に囚われて、そこから解放されていないのをよく見る。かつての自分もそうだし今も無意識の中にあると思う。カーブでブレーキを踏むように何かことがあると過去の出来事に囚われる。 過去は過去にしか過ぎない。あるのはこれから先のことなのである。その先には希望しかない。現実には色々あると思う。しかし

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」 rom 8:28

「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」 1cor:13:13

「兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕えたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。」phil 3:13-14