2009年10月17日土曜日

変えるということ

 ニュースはTVとインターネットをみるだけだが政権が変わって自民党系のニュースはほとんどない。いま何かと民主党の政治のやり方などが話題になっている。まさに与党と野党の違いが歴然と出たのだろう。理念から予算を含め具体的な事柄に移行しつつあるように思う。これからが正念場になるのだろう。自民党は総裁選を見ても自ら変える力はないようだ。若手が活躍するようになったら変わった自民党になるだろう。これも期待したい。民主党がどうということではないが新しい視点で国を変える一里塚になってほしい。言葉の揚げ足を取らないで変わるときの痛みを国民が共有できる余裕がほしい。

 変わる或いは変えるということはそう簡単なことではない。この事で思い出すのは、もう20年も前のことだが武田清子さんが「受け継がれゆく祈り」という題で朝日新聞に載せていた。抜粋して記してみる。
 最近、米ソ関係にも東欧各地においても、予期しなかった大きな変化が起こりつつある。歴史の変化にはそれにかかわる人々に、「変え得ぬこと」と「変えるべきこと」とを平静に、かつ、懸命に見分ける洞察と「変えるべきことを変える勇気」が求められることを考えさせられる。
 『終戦直後の秋だったと思うが、1945年度の「アメリカの母」(各州代表によって選ばれる)であったジョージアナ・F・シブレー夫人が、次年度のアメリカの母を選ぶ会議においてクレメント夫人という立派な家庭をきずく黒人女性を推薦した。当時はまだ差別の強い時代であり、人種差別撤廃を求める市民権運動が活発に展開するのは1960年代のことである。(注、キング牧師がリンカーン記念館で行ったあの有名な演説「私には夢がある」は1963年8月28日である)シブレー夫人の推薦に大多数の州代表がいっせいに反対した。このとき、シブレー夫人は次のような「祈り」をささげた。
「神よ、
 変ええぬことを受け入れる心の平静さを、
 変えるべきことを変える勇気を我らにお与え下さい。
 そして、これら二つを見分ける英知を…」
 この「祈り」あと投票が行われところ、満場一致で黒人のクレメント夫人が次年度の「アメリカの母」に選ばれた。これは人種差別撤廃運動の重要なさきがけとなった。』
 この祈りはライホールド・ニーバーの「祈り」として知られるがさかのぼれば18世紀ドイツのルーテル派の牧師であり、神学者のフリードリッヒ・C・エーティンガーの「祈り」にもとづくものだという。『このようにこの「祈り」は国境、人種の別を越えて受け継がれてきた。そして、私自身にとっても過去何十年と心の深みにあって「私の祈り」ともなっている。…』
 東ドイツの反体制派の牧師であり、神学者のハーメル師についてもふれていた。

 政治は色々と利害やプライドが絡んでいるから難しいものがあるが民主、自民に関係なく国を想い、国民に仕える人が出てきてほしい。そんな芽もあるような気がするが、たとえあっても国民がそれを受け入れる心の余裕があるかも問題だ。

 集会などでも同じことが言えるような気がする。昔は世の中にも「滅私奉公」という言葉が生きていたが、今はないだろうな、集会はどうだろう。