2009年10月29日木曜日

シニアキャンプ

 家内が腰痛のため一人で軽井沢に行く、和田峠に向かって前方を見ると紅葉の真っ最中、実に美しい。これからさらに色の濃さをまして行くのだろう。和田村に入ると山々の色はまだまだ緑色が多く、標高差によって大分違う。和田峠の山は1600m前後、我が家は800m、軽井沢は940m前後、千ケ滝は軽井沢より100m高いから夏は軽井沢が暑くても少し涼しい。、菅平のヘルモンサン荘辺りは和田峠より少し低い。ちなみに田舎は16m、要害山で165m、高崎は100m弱、中之条で350m前後しかないので思ったより低いのに驚いた。いかに信州は高いかということだ。高速道路で一番高い所が富士見にあるし、長く急な坂が三つもあるから中央高速を走るとそれがよく分かる。

 いつもは7時頃に家を出て、朝のメッセージに間に合うようにしていた。今回は家内を整骨院に送ってから来たので午前中は諦めて午後のオプションに合わせる。12時前に着いたがすでに食事は終わりかけて、スタッフの姉妹が車の中で食べるようにとサンドイッチとみかんを包んでくれた。食堂に入ると目の前のテーブルに座っている下小鳥のM兄と目が合う。挨拶していると横で私の名前を呼ぶので振り向けばM姉ではないか、「オー万年青年」と声をかけてきたのは浦和のA兄ホントに久しぶりである。浦和のS兄とは高崎の学び会でいつもあっている。この間も長野で会って、遅くなったので前しか空いておらず座ったら隣が彼でヤァヤァと握手をする。よく見れはその隣は熊谷のN兄、その隣が日本橋のS兄だった。この二人にはシニアでいつもお世話になっている。今回はさらに心配をかけてしまった。

 今回のメッセンジャーは前にいた集会のK兄、聖書からのシンプルスタイル、久しぶりに聞いてなぜか懐かしく思う。淡々と話される彼の語り口は聞きなれているから私には分かりやすかったが他の人たちにはどう映ったか。私はオプションで出掛け、彼は準備や他の兄姉と交わったりしていたから挨拶だけで終わってしまったので 残念だった。

 何人かの人と交わって、集会と責任者の難しさを覚える。何処に視点を置くかで大分違うような気がする。それに振り回されないで本質を捉えることはさらに難しい。客観的に見て直接そうだと言うのではないが問いかけられるものがある。論評することは簡単だが(的を得るかは別として)共に担うことが出来ないからそれは止めておこう。これからは責任者の人格的、信仰的な資質がとても大切なような気がする。長くアメリカにいて、弟さん夫婦が群馬のM集会に集っているのでそこに集っている姉妹と同じテーブルになった。アメリカではメソジスト教会にいたので集会には戸惑いがあると言われて、どこか男性中心主義的なように見えるところがあるからだろう。聖書の原則を話されてもどこか納得させないのは私たちの姿勢にあるのかもしれない。初代教会がクリスチャンと呼ばれながら、尊敬されていた姿勢は今日も大切なのではと思わされる。伝道が優先されて、どこか他のもが犠牲になっているのかな?霊性というものをフッと思い浮かんだ。自戒をこめて謙虚でありたいものである。

 小布施に行ったときに温泉に入り、ぬるかったので長湯をしてしまい脱衣室で眩暈がして倒れ、顔をすりむいてしまった。千葉のI姉も洗い場で転んで頭にこぶをつくってしまった。軽井沢病院で見てもらったが異常無しでよかった。スタッフはダブルでシニアの現実を覚えたのではないだろうか。前から若者と違った気配りが必要をさらに感じたのでは、スタッフの皆さんごめんなさい。