2010年2月6日土曜日

受けるよりも

 「使徒の働き」の中にイエス様の言葉として、福音書には無いが「受けるよりも与えるほうが幸いである」という言葉が書かれている。
 確かに「受けるより与えるほう」がいいと思っていたが最近むしろ逆ではないかなと思ったりしている。受ける側はただ受けるだけでいい、与える者は自分の持っているものをあげなければならない。しかし受けるということはそんなに簡単なようには思えない。必要性を感じないといけない。プライドがあったら出来ない。身も心も貧しくなくては受け取れないのではないだろうか。「与える」のは持っているのを与えればいいが「受ける」のは手を空にしなければ受け取れない。これを書いていて20年前に読んだ詩をフッと思い出した。

「宝」

一つまた一つと、神は私から取り去られた。

私がこの上もなく価値ありと思っているすべてのものを、

私の手がからになってしまうまで。

ピカピカ光るくだらないものは

皆なくなってしまった。

私はそれを悲しみながら歩いていた。

貧乏というぼろをまとって。

そして、ついに私を招く神の御声を聞いた。

「あなたのからの手を、私にあげなさい」と。

私は両手を天に向かって差し伸ばした。

神はご自身の素晴らしい富で私を満たしてくださった。

両手で持ちきれなくなるまで。

私はついに自分の愚かな鈍い頭で悟った。

神はすでに満たされている手に、

ご自分の富を注ぐことはおできにならないことを。

「神のすばらしいご計画」より」

マーサ・スネル・ニコルソン