2010年4月29日木曜日

男性集会

 上沼先生から「ウイークリー瞑想」のメールが届いていた。「神学フォーラム」は難しく哲学とかが出てくると固まるが最近は少し理解できるようになったかなと思う。3月に秋田の教会で短期の宣教師として奥様と来られている所為か以前より間隔が短くなった。奥様が宣教師の子として日本で育っているそうで日本語は上手らしい。先生を見ていると一緒に洗礼を受けたF兄とダブってしまう。同じように宣教師の娘さんと結婚をして、一時は日本とアメリカを行き来していた。外形も中身?も似ていて、私と好対照である。
 先生を紹介してくれたのは、北関東のS兄がカナダに留学している時に、こんな人がいるよとHP を紹介してくれて、メールのやり取りをするようになった。その時は年に2回日本に来て、各地を講演していて、東京の時に案内を戴いて三度ばかり集ったことがあった。集会だと聖書の話を聞くという受身的なことが多かったから、考える事とかデスカッションをすることに最初は戸惑った。今も相変わらず思考停止はちょくちょくあるから、討論やデスカッションは苦手である。 本質的なものではないが。
 S兄と同じ集会に集うK兄は神学校で講義を受けたそうで、先生の話はもうと言われていたが、名古屋での集まりで会ったらしく、全然違っていたようなことを言われたので会った時にその旨を伝えたら「私も色々ありましたから」と言われたことが印象に残っている。またS兄がコメントしたことで神学フォーラムが出来たようなことも聞いた。
 先生の交流の広さに驚く、教会関係の第一線で活躍されている方との交流は当然としても、ある集会の後で、そこに集っていた一人の方の事を聞いて驚いた。具体的なことは書けないがそんな人まで来るんだとその巾の広さに感心する。私もその端っこにいるのだろうが。
 プロミスキーパーにつながるのだろうか日本でも男性だけの集会を良くやっているようだ。実は一度だけそのような集会に集ったことがあったが、自分でも自覚するほど硬いなぁと思った。 今ある自分が父親との関係、幼い時の出来事等が深く投影していることも先生の交流から、また書かれた本を通して知る事が出来て感謝している。出会いがなかったら自分が見えなかったかもしれない。こちらに来て更に自分が見えるようになったからその下地があったからだろう。
 男性の信者を見ていると父親から受けた影響の大きさを知る。自分も受け、そして子供にも大きな影響を与えた。それもいい意味より、悪い方が大きかったのかなと思う。男性はプライドが高い分だけ傷を受けやすいのかな。振り返るとほんとに自分が見えなかったなとつくづく思う。何時か男性の集まりに参加してシェアしてみたい。
 神学的なものは難しいがこういう実体験的なものは共有できるから共感する。ヤコブにはイサクという父親がイサクにはアブラハムという父親がそしてアブラハムにはテラという父親がいた。どうもアンチ父親的なものが皆持っているのかなと三人の族長を見ても感じる。