2010年8月4日水曜日

二つの視点

内村鑑三の「余はいかにしてキリスト信徒となりしか」(角川文庫)の中に、「もし神学が、現実的、実際的な何ものをも持たぬ学問ならば、それは研究に価しない学問だ。しかし真の神学は、現実的な、しかり、他のいかなる学問よりもはるかに現実的な学問である。」と書いてある。神学と聞くと頭はフリーズするが聖書或いは信仰と置き換えると分かるような気がする。

福音書を読むとイエス様と律法学者との論争が幾つか出てくる。彼等は悪者扱いにされているが特別悪いわけではないような気がする。彼等は真面目に律法を履行しようとしているだけだと思う。神に対して、忠実で熱心なのである。彼等がイエス様に律法の中で一番大切なものは何かと聞かれた時に、「神を愛することと隣人を愛すること」と言われた。神を愛することは分かったようだが隣人が分からなかった。だから、ルカは「わが隣人とは誰か」とイエス様に尋ねていることを記している。「わが隣人」が分からないのである。

「良きサマリヤ人のたとえ話」を見ていると神にか隣人にか、自分を生かす(自分を汚さない)か他者を生かすかを分かりやすく教えているような気がする。祭司やレビ人を弁護するわけではないが、汚れるということは神の前では重大な問題なのである(イエス様は手を洗わずに食事したりしているが)。私だったら彼等の道を選ぶだろう。しかし、律法や安息日は人を生かさないことを福音書は語っている。聖書の言葉を守るのも難しいが、現実に生かすことってもっと難しいなぁと思う。