頂いた本の「わが家への道」の中に「待ち望むということ」というのがある。以前単独で出版されているのが手元にあって、確認したらもう11年前に出版されたものだった。部分的に言葉を変えているが新しいほうが読みやすい。
私にとって「待ち望む」ということは、具体的には主の来臨か召されることを通して主にお会いすることであろう。しかし、今回読み直して、あらゆるものが「待ち望んでいる」ということがわかった。
天地創造、初臨から、十字架と復活そして再臨も、それと被造物全体も共に呻きながら贖われることを待ち望んでいる。福音宣教は救いの完成を神ご自身が待ち望んでいるという視点で捉える必要があるような気がした。私、或いは人というのを中心に考えると、非常に狭く、偏ってしまうような気がする。