2010年10月5日火曜日

浦河べてるの家

元TBS記者の斉藤道雄さんの書かれた『べてるの家のいま「治りませんように」』を読んでいる。斉藤さんが「べてるの家」に関する2冊目の本である。向谷地さんが内側から、斉藤さんは外側から書いているそんな感じを受ける。10年前に仕事の取材でかかわって、仕事を離れてもべてるとかかわって2冊も書いている。斉藤さんは受ける印象は地味だが、誠実さを感じる。だから続いたのだろう。そのことを感じさせるコメントをあとがきに書いている。

「べてるの家」は、32年前に向谷地生良さんが浦河にある日赤のソーシャルワーカーと勤務してから始まる。その後に精神科医の川村敏明さんが赴任して、進展していくのである。「べてるの家」は日赤の精神科を退院した数人の集まりから、向谷地さんを中心に始まった。それが、今は100人から150人が浦河の町に散在して、幾つかの事業を始めている。

今どうなっているかはわからないが、当時は地域的環境も非常に悪かったようだ。そのような中で、共同生活を始めたのである。統合失調症は、暴力、妄想、幻聴などがあるようだが、私の知っている人は、会話が出来ない。聞いている分には良いのだが、異論や反論をすると会話はそこで終わる。その時点で、大袈裟に言えば敵対者になってしまう。一人でもこんな調子だから、そのような人たちが大勢で生活している。常識では考えられない。そこでの日常は大変なものだろうなと思う。しかし、苦労しながら生き生きと問題も起こしながら生活しているようである。

病気は治すもの、生活するには暗黙の基準の中で生きるもの。しかし、あそこでは病気をそのまま受け入れている。私たちの生活の中にたくさんの制約がある。置かれている立場に適合しなければならない。会社の勤務していたら、まず第一に仕事をこなす能力がなければならないだろう。決まった時間内は拘束される。朝起きれないから昼からとはいかない。この時間というのが問題で、精神的な病気のある人は能力があっても、これで駄目になってしまう。考えてみればある人たちが当然と思っていることでも、出来ない人には無理難題なのである。それは暗に存在の否定につながっているような気がする。「べてるの家」はそれを肯定している。一般社会では生活できなくても、浦河では出来るのである。社会に対して、一つのアンチテーゼのような気がする。ま、受け止められないだろうけど。

他の本でもそうだが「べてる家」での出来事を淡々と書かれている。しかし、その内情は大変なものだろう。そこで生活しろといわれて出来るだろうかと思う。まず、自分の価値観を捨てなければならない。そして、ありのままを受け入れなければならない。ふっと、ナウインがラルッシュでの経験を思い出す。そこでは今までの経験が一切通用しない。戸惑いながら、受け入れ、この世界が当然のようになっていく、ナウインの姿がダブル。 昇る人生ではなく、降りていく人生なのである。

斉藤さんは一つの事件のことを書いている。それは入院中の患者が同じ入院している患者を包丁で殺害してしまった。妄想で殺してしまった。病院がとった処置で、医師と記者のやり取りを、そこにあるのは、病人を管理するという発想である。医師はそれについて否と言われた。管理して防げるものでないことを医師は良くわかっていた。殺人者だから凶暴なという意識、病院側は本人はもうそれ以上何も出来ないことを認識していたので何もしなかった。それと、被害者のご両親が加害者のご両親を葬儀に招いている。加害者は被害者より年上で、ご両親も上、自分たちより長く、このご両親は苦労されている。その苦しみがわかるから、招いたようである。一般常識では判断できない何かがある。神戸で高校生が刃物で殺されたことがニュースになっていたが、気になる。危険と理解、どこかあい矛盾するようなテーマだ。

斉藤さんもあとがきで書かれていたが、「…みんなの話を聞き続けて記録するという日々を求めたとき、私はすでにこの社会の中心からそれ、昇る人生から降りていたのではないかと思う。」ここでは昇るのではなく、降りていくのである。ふっと福音書のイエス・キリストを思い出す。「人の子は、失われた人を捜して救うために来たのです。」(ルカ19:10)と取税人ザアカイの救いを語っている。病人や罪びとと呼ばれている人たちの傍らに立ち、そこから共に歩む姿がダブル。福音は語れても、その傍らに立てるか共に歩めるかと、どこか彼らと似ている息子の傍らに立てるか、難しい問いかけであるが答えて行かなくては、粛々と。