2010年12月13日月曜日

新しい旅たち

昨日は「新しい旅立ち」という題で話をした。親不孝をして、父の寿命を縮めたとの思いがあり、父が亡くなった70に拘っていたその歳になり、「大晦日、越すに越されず、越されずに越す」という落語の枕か小話の中で言われたことを思い出して、まさに60代をプッシュされて、70になってしまった。このことは信仰に入る一つのきっかけにもなったことで、父よりも長生きすることは、私にとって余生であると思っている。

諸々のものが衰えていく中で、何か出来たらと思っても、何が出来るかわからない。ホイベスの詩ではないが「謙虚に人の世話になる」の謙虚は難しいが少なくとも「お世話に」なることは出来る。そんなことを考えていながら、父を越えた歳は私にとっては新しい旅立ちなのである。

考えてみると旅立ちは、人生に於いて絶えずあるのではないだろうかと思う。幼稚園、或いは保育園に始まって、学生から社会人になることや結婚、子育てと未知の経験に入っていくことすべてに言えるような気がする。そういう意味でこれからの私もそういうことが言える。

イエス様の降誕もある意味で、人々に新しい歩みを提供しているから、ある人にとっては新しい旅たちであるように思うがいかがだろう。三浦綾子さんは「私にはまだ死ぬという仕事がある」と言われたそうだ。ご主人の三浦光世さんが「死ぬという大切な仕事」という本も書いている。人はその死に至るまで絶えず新しい旅たちをしているような気がする。いのちにつながるか滅びにつながるかはあってもである。