2011年2月13日日曜日

召された

伝道者のOさんが召された。
かの有名なTさんがブログにOさんのことを書いている。同じ伝道者として立っている立場?からか、先輩の尊敬しているキリスト者としてからか。

わたしにとって、専心伝道者として立っていることだけで尊敬に値する。Oさんはその上に開拓伝道されている。京都、広島、そして三原と、信者を育てながら、時には拒否されながらもである。

最初の出会いは、栃木県の奥湯西川の旅館での夏の聖書の学び会だった。もう45年も前の出来事である。最後の日に司会者が感想をと言われたが沈黙が続いていたので「さっぱり分からない」とさらにしらけるような言葉を発してしまった。信じて間もなかったころだった。すかさずOさんが「信じたばかりだとしょうがないが来年も再来年も同じだと困る」と言われた。そうならないようにと聖書を読み、自分なりに努力したが困る状態は相変わらずだ。

そこから細く、長い付き合いだった。家内の実家で家庭集会をやっていた時、軽井沢や群馬の行き帰りに寄って下さって、その都度、東京から出かけて行った。いつだったか長女の方と来られた時があって、ここだと気を遣わなくてもいいからと言われたことが印象に残っている。この小さな集会に重荷を持ってくださり、ウィークデーで寄るのではなく、日曜日を使ってくださった。いつだったかある集会から寄ってお話をと頼まれた時、この集会による予定だからと断ったら、不思議がられたとそんな話をしてくれた。どこでも来て欲しいのに忙しいから来てもらえない頃だったから、「そんなところよりもうちの大勢の信者に話をしてくれたほうがみこころだ」と言うようなニューアンスが汲み取れる。あの方はどこか反骨的なところがある。

それと印象に残っているのは、「クリスチャンは雑巾のようなものだ。散々使ってボロボロになって捨てられる。それでいい。」と、頭で理解できるがそれでも現実にはと思っている。驚くのはそれを地で行っていることである。テープを送っていただいて、他の人のは、ここがと思うことはあったがそのようなことは何もなかった。それで集会の中でギャップを感じたことが懐かしい。みかん箱に三つか四つあったテープをどうしようかと考えていたら、韓国から来ていた方に何本か貸したら、全部聞きたいと狭い家なのに喜んで貰ってくれた。20年以上たったテープである。

キリスト者として資質が違う、わたしはその対極にいる。定かに覚えてないが「磨けば光る玉もあれば磨けば砕ける玉もある」と、彼は前者でわたしは後者である。こちらに来て、さらにそれを確信している。わたしはブログのタイトル通り、食卓から落ちるパンくずを拾って十分。