2012年1月9日月曜日

信じるということ

今は旧約の大家になっているT教授が大学一年の時同じ集会だった。ある時雑談している中で、「無教会は色々議論して結論に持っていくが集会は即結論にもっていく」と批判としてではなく、無教会と集会の特徴を端的に云ったので中々的を得ているなぁと感心した事があった。あの当時は無教会も教会も批判の的だったから雑談でしか云えなかった。今も批判されている方々もいるようだが多くは内村鑑三を優れたクリスチャンの一人である事をメッセージの中で語っている。隔世の感があるというか半世紀もしないのになんだこれはと思うことがある。ある意味で批判は控えに、わが信じる道を邁進してほしいものだと思っている。今も実直に批判されている方々もいるようだがオープンに属している所為か無教会や教会に対して以前に比べたら理解を示しているように思うがどうなのだろう。

サルは牧師のいない集会で育った一信徒に過ぎないから聖書の専門的知識はない。求めても無理だから単純に聖書を神の言として信じている。だから聖書の専門知識のある人から見たらおかしいと思われる事があるだろうなと思っている。事実神学校で勉強された若い伝道者と交わった時に指摘された事があった。難しいかそういう考えもあるのか位でしか理解できないから神学論争はできない。単純な信仰でわが道を行っている。しかし、玉川カルテットのテーマソング?ではないが「金も名誉もいらないがわたしゃも少し聖書の知識がほしい~」と叫びたいのは本音である。しかし、たとえ批判を受けても聖書を神の言と信じることができるのはサルにとっては奇跡なのである。そして少しでも理解できる事は恵みなのである。