2012年1月11日水曜日

牧師病?


上沼先生がウイークリー瞑想で「牧師病?」というタイトルで書いている。ある番組を観ての感想である。前後をはしょるがそこに出ていた牧師をこのように書いている。「牧師丸出しで、すぐに説教調になるのです。聖書の教え通りにしていればすべてがうまくいくと言うことを巧みに説明するのです。多くの場合に説得するのです。それがあまりに鋭いので黙る以外にないのです。 子どもさんたちは逃げられないのです。
…テレビ番組なので、そんなに気にしなくて良いことなのですが、 何とも後味が悪い思いが残っています。他人事でないし、結構どこでも似たような場面に出会うのです。癒しがたい牧師病なのでしょうか。」これを読んでいて、キリスト者が陥る危険性を指摘されているような気がした。

集会あるいは教会の姿を見ていると、違ったものを排除するような気質があるような気がする。排除というより違ったものがあってはいけないという発想だろうか。それと信仰は一つ、信仰の幼子をそのようなものから護らなければならないという護り、他に聞くという姿勢が少ないようにも思う。聞いているようで何も聞いていないなと思う事がよくある。絶対的なものと相対的なものを識別する大切さを求められるのかなとも思う。前にも書いたがニーバーの祈りの大切さと難しさを覚える。キリスト者として心しなければならないなと思う。