2012年7月20日金曜日

同じことばでも

キリスト者が「神」と言えばすべてのものを創られた方「創造主」を思い浮かべえる。しかし、多くの日本人は「神」と言えば聖書でいう「神々」である。同じことばでも人によって大分違う。日本人にとって「すべてのものを創られた神」はイメージできるだろうか、むしろ否であろう。それは難しいのではと思っている。分業的な「商売の神様」、「学問の神様」は単純で分かりやすい。進化論の影響か人の誕生も偶然として見、必然なるものは有り得ないような捉え方が一般的かなと思っている。偶然の中に愛はない。必然の中にのみ愛がある。

罪を語り、裁きを語り、救いを語ってもどこか空振りしているような気がする時がある。神々の神ではなく、すべてを創られた神をどのように伝えることができるか難しいことである。「福音」ということばも然りである。グッドニュースがグッドニュースになっていないときがある。一面的な聖書の使信を伝えてもことばだけであれば伝えたことにはならない。神の愛をどのように語ればよいか分からなくなる時がある。無限に広がるものをある枠の中にはめ込んでしまって、神の愛を矮小化していないだろうかと思うことがある。