2013年2月7日木曜日

考えさせられたこと



「想定を超える災害にどう備えるか」
~大津波から生き抜いた釜石市の子どもたち、その主体的行動に学ぶ~

これは昨年の9月に市の「生涯学習大学」講演会での演題である。
諏訪地区は、「2006 年7月17 日から19日、長野県中央部の岡谷市、諏訪市、辰野町かけて梅雨前線の豪雨により広範囲にわたって土石流、斜面崩壊、浸水が発生した。被害は、岡谷市湊地区死者7名、川岸東地区1名、辰野町飯沼1名、辰野町小横川1名の死者の他、多数の家屋の全壊、浸水などの大きな被害を出した。」(国土地理院の報告書より)

岡谷市は湊地区で7名も亡くなった土石流の大きな災害を経験しているので防災に関しては関心が高いのではないかなと思っている。(その割にはホールはいっぱいになっていなかったが)講演会の紹介にこのように書かれていた。

「釜石市の津波防災教育の事例を中心に地震大国に住むものとして、これまでの防災の意識はどうだったのか、これからの防災のあり方はどうあるべきかなどについて、お話をうかがいます。」

講師は釜石の奇跡で有名になった群馬大学広域首都圏防災研究センター長で群馬大学大学院工学研究科教授片田 敏孝 先生。

忘れっぽいので細かい話は忘れてしまったが防災に対する熱き思いが伝わってきたのが印象に残っている。それと何時来るかわからない津波に対してあれほど熱心になれるのかとそれが不思議でならなかった。サルはどこかさめたところがあるから直ギャップが大きく感じたのかもしれない。しかしTVでも放送されたように上級生が下級生をかばいながら避難する子供たちの姿を見てこれが防災訓練の結果なのだと納得した。親に依存するのが子供であるのに自主的に行動するとは繰り返し教えてきたからであろう。そんなことが頭にあったから読んだ本は暗い気持ちにさせられた。


「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」  


あの大津波で石巻の大川小学校は108名の生徒のうち70名が亡くなり、まだ4名が行方不明だそうだ。先生も10人亡くなっている。これは学校がなくなったに等しい。それと子供たちは学校の管理下にあると言うことは学校の責任であることを改めて教えられた。それは親から見れば子供の命を学校に預けたことになり、学校は親から子供の命を預かっているのである。責任重大である。読んでいるうちにそんな責任重大な要の教育委員会がどれだけ認識しているのが疑問に思った。そして役所の典型を見、時には弊害になるものかなとも思わされる。原発事故の国や東電の対応も同じ様なものだなと思ったが。

地震から51分も運動場に置かれて、近くに避難しようとした時には津波の第一波がすぐ近くに来ており、逃げ遅れて多くの犠牲者を出してしまった。上級生の中には山にと行きかけたが先生に戻されたようだ。他にも山に避難しようと言った子供がいたようだが先生はそれに答えなかったようだ。
多分、先生たちもここまではという思いがあったのではないだろうか唯一生き残った先生が一人いたがその報告もどこか矛盾があるらしく、今は具合が悪くで面会謝絶とかで直接聞くことができないらしい。遺族の疑問に市も教育委員会も納得の行く報告はされていないようである。組織というものは守ることには強いから非があるときは磐石である。

釜石を褒め、石巻を非難するつもりはないが災害や不測に備えることの大切さと難しさを教えられたような気がする。結果として命にかかわることである。大人は経験則で物事を判断する傾向にある。大川小学校の先生もこの判断ではなかったのだろうか。片田先生も大人の無理解に苦労されたようなことを言っていた。逆に大人を当てにしないで子供たちに自主的に行動するように指導したのが良かったのではないだろうか。

以前に特老の設備を見ていた時、年に二回消防の避難訓練を行っていた。形だけのこんな訓練役に立つのかなと思っていたが机上で理解するのとたとえ形だけでも実際に行動するとでは雲泥の差があるなぁとはじめて思った。机上は頭しか動かないが行動は体が動くこれが大切である。片田先生も釜石の現実があったからよく言われるけれどそれまでは疎んじられていたのではないかなと思う。人は目の前の利害しか考えない。それに添ってしか行動しない。それが原発問題でも働いているような気がする。教会の世界にも教えているような気がするがどうだろう。