2013年10月22日火曜日

脳に悪い七つの習慣

4年前に出版された林成之氏の「脳に悪い七つの習慣」を題材にして日曜日に話をした。その七つとは、
1、「興味がない」と物事を避けることが多い
2、「嫌だ」「疲れた」とグチを言う
3、言われたことをコツコツやる
4、常に効率を考えている
5、やりたくないのに、我慢して勉強をやる
6、スポーツや絵などの趣味がない
7、めったに人をほめない

ネガティブなサルはみんな当てはまる。
何故脳に悪いかは、脳の本能は「生きたい」「知りたい」「仲間になりたい」の三つだけだそうだ。ある意味で肯定的で、前向きであり、否定的なものはない。この七つは否定的である。3や4は否定的でないように見えるけど脳に刺激を与えるような働きをしそうもない。
堕罪前のエデンの園を思い出す。あそこも否定的なものは何もない「それは極めて良かった」。

しかし、この三つの機能を守るために、後天的な本能として「自己保存」と「統一・一貫性」が生まれたと、前者は「脳は自分を守ろうとする」「生きたい」という本能に根ざして、「生きていくために自分を守る」。後者は「統一性・一貫性が保てなくなるような情報を避けようとする」、「正誤を判断する」、「類似するものを区別する」、「バランスをとる」、「話の筋道を通す」といった働きをする。しかしその半面、脳が間違いを犯したり、脳のパフォーマンスを落としたりする原因にもなるそうだ。多分ネガティブな発想の持ち主だとこのバランスが崩れ、自分を守ろうとすることがマイナスに働いてしまうのではないだろうかと思う。
否定的な発想は堕罪後に起きている。「・・・この女が」、「蛇が・・・」と二人とも「わたしが悪うございました」とは言わない。考えてみればこのパターンは自分を含めて我々の世界でしっかり生きている。本間俊平はこんなことを言ったそうだ。「みんなが優秀な家族は争いが絶えず。駄目な家族には争いがない」。それは、たとえば物に躓いて怪我をするとして、優秀な家族は自分が悪くなくて置いた人が悪くなる。だから「lここに置いたやつは誰だ」となる。駄目な家族は「躓いた自分が悪いorいや置いた私が悪かった」となるそうだ。示唆に富んだ例えである。駄目なのに優秀と自覚しかないサルには耳の痛い例えである。
第二の本能がネガティブな発想では脳に悪いのがよくわかる。これは堕罪後の二人の姿がダブル。罪はネガティブに働く、神はポジティブである。第一の本能と第二の本能に堕罪前、堕罪後の違いを見る思いである。林成之氏には失礼だが少し発展させてしまった。