2014年1月9日木曜日

町民になって

一つ片付けては一服し、次にという具合だから感覚的な時はゆっくりと流れている。しかし、逆に実際の時は早く過ぎ去っていくようである。何故ならあまり事をなしていないから空白が多い所為でそのように思う。昨日も大してあるわけではない本だが適当に押し込んでいたので整理するのに結構かかった。未読は勿論、すでに読んだ本も手に取るとまた読みたくなる。時間を作ってゆっくり読みたいものだと思う。それに病気かなと思うほど読む先から忘れていく、読み物だけでなく、メッセージも然りである。昨年のクリスマスのメッセもメモを取らないから当日既に記憶なしである。聞けば思い出し、読めば思い出すのだが若いうちからの傾向であるからもうあきらめている。というより開き直っている。まぁ昨年S兄が訳した本を購入したが手付かずでそのままだったのを本を整理したついでに机の上に置いたことはそれだけ片付いたということかもしれない。本を整理していると未読は勿論、既に読んだ本も読んでみたいなと思ってくるから不思議である。

何とか片付けてコタツのスペースを確保してほっとしたがそこは寒くて暗いので明るくて暖かい板の間に移動する。暖かくなったらまた戻すつもりだ。そこは自分の机や本棚を置いているが空間があるので背に腹は変えられない。それに寒いから暖房に灯油を使っているが以前いた所より減りがとても早いので頭が痛い。それに近くに温泉のフロがあるからついそちらに行って仕舞いうちフロはまだである。寒いだけでなく片付かないのも原因であるがそのうちと思っている。フロに行くのに数分だから四辺の三辺を行くように湖畔端を夜走っているが対岸の夜景がとてもきれいに見える。

町民になってといってもまだ物理的に変わっただけでこれというものはない。湖畔端が近いので車でよく走る。寒いのに良く歩いている人や走っている人を良く見かける。自分もと思うがまだその余裕はない。前に書いたか郵便局が近いのと図書館が近いのがいい。昨日も郵便局に行ったついでに図書館に寄ったら閲覧の場所は年寄りで占めていて行く当てのない年寄りが・・・という感がしてサルもその一人かと思うと少し抵抗を感じてしまった。それと読みたい新聞が既に誰かが読んでいるので全国紙?を読んだが東京にいればそれでもいいが地方に居たら地方紙がいい。時間が取れたらここで時間をつぶそうと思っている。

前の所では包装紙などのプラは資源ごみだったがこちらでは燃してしまう。それと硬質のプラは燃やしていたがこちらでは資源ごみになっている。前に居た市の清掃工場は今改築中で、ここは湖周の二市一町の清掃工場となる。焼却炉は性能が良くなるのだろうから何でも燃やしてしまうのだろうかこの違いをどういう風にするのだろかと疑問に思っている。それとこちらの清掃工場に行く途中の道が狭い。普通の車でも行き交うことが出来ない。それを見て合同の清掃工場も納得である。