2015年9月21日月曜日

隣人を愛するとは

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次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』・・・。

隣人を愛するには自分を愛せなくてはいけない。自分を愛するということは自己愛などと言われるが本当に自分を愛するということは難しいことである。自分を含め周りの人を見ると劣等感を色々な形で持っているのを見る。それを隠すために強がったり、沈黙したりしてそれが相手にわからないようにと努力している姿をよく見かける。自分もそういうものだと思うと何となくそれがわかってしまうから相手に同情したり腹を立てることは少ない。蚤の心臓だから気分は優れない。

隣人を愛するにはまず自分を愛せなくてはいけない。欠点だらけで良いのを探そうとしても見つからないような者には至難のわざである。映画エデンの東の中にキャルは父親がレタスで大儲けしようとして逆に大きな損失をこうむった。その損失を取り返そうと豆の取引をして大もうけをする。しかし父はそれを受け入れなかった。そこに父親と息子の思いのすれ違いである。父親に受け入れてもらいと努力したことが拒絶され彼は落胆する。たまに見かける光景だが子供が親に良く思われたいと言ったり、行動したりするのを見かける。

私たちは自分を愛する前に誰かに愛されたいor好かれたいとの思いで行動を起こすのではないだろうか。そしてキャルのように失望するのである。自分を愛することは自己愛ではなく、自分の全てを愛おしみ、慈しめなくてはできない。そして初めて相手を愛おしく思い、慈しむことができる。後は簡単だ。それまでが大変なのである。言葉として語ることができてもある意味でイエス様の愛がわからないとダメであろう。食事の時しか向き合っていないが家内がリトマス試験紙のような気がする。愛せるかな愛せないだろうな…。