2015年9月19日土曜日

続々 最近思うこと

1john: 4: 8
愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。

第一コリント13章に愛について、愛の素晴らしさについて語られている。そしてそのようなものがないことを教えられる。愛を語るには愛を知り、愛を経験しなければ語れないであろう。教会の壇上で愛を語っても小さな集まりで愛を語っても「愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。」と聖書は語っている。神の愛は完全であるが人の愛は不完全である。それは、神の愛は100%本物であるということであり、人の愛は人によって違うが何パーセントか欠ける愛であると言えるであろう。愛憎という言葉がある。人の愛は愛憎で100%になるようになっているように思う。愛が欠けているのではなく、憎があるからである。愛が豊かにあるといっても100%ではない。愛が欠けると言われても愛が0%でもない。まぁ人の愛は1%から99%を行き来しているようなもので愛がないからと嘆く必要もないしあるからと言って誇る必要もない。憎というところに罪といれてみてもいいかもしれない。喜びと悲しみも然りかもしれない。この二つを足して100%にしているのである。罪は一つのものを二つに分けてしまった。そして人々はそれに気づかない。