2016年7月7日木曜日

黙示録1章3節




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この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを心に留める人々は幸いである。が近づいているからである。


1章3節 預言よげんことばものこれきてうなかしるされたることをまもものどもとは幸福さいはひなり、ときちかければなり。[引照]
口語訳この預言の言葉を朗読する者と、これを聞いて、その中に書かれていることを守る者たちとは、さいわいである。時が近づいているからである。
塚本訳幸福なる哉、この預言の言を朗読する人、及び(それを)聞いて、その中に書かれてある(一切の)ことを守る人々!(この言の成就する)時が(はや既に)近いからである。
前田訳さいわいなのは預言のことばを読み上げる人、またそれを聞いてそこに書かれたことを守る人たち。時は近いから。
新共同この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちとは幸いである。時が迫っているからである。
NIVBlessed is the one who reads the words of this prophecy, and blessed are those who hear it and take to heart what is written in it, because the time is near.
註解: ユダヤ教時代より集会において聖書が会衆の前に読まるる習慣あり、キリスト教はこの習慣を踏襲し(ルカ4:16。使13:15。15:21)旧約聖書の外使徒の書簡等が読まれていた。「読む者」は単数で会衆の前に朗読する人を意味し「聴く者」は複数で会衆を意味す。而して単に聴くだけでは不充分であるがさらにこれを「守り」行う人々は幸福である。その故はこれらの預言が凡て実現する時が近づいているからである。預言は実生活の指導者である。この書は一つの「預言」であることはヨハネのしばしば主張する処であり(10:11。19:10。22:6、7、9、10、18、19)またこれを会衆の前において読むべきものなることを主張していることが判明(わか)る。「幸福なり」は本書に七回用いられている(14:13。16:15。19:9。20:6。22:7、14)。「時近し」は当時の一般的信仰であった(ロマ13:11。Iコリ7:29。ピリ4:5)。
要義1 [黙示録は理解し難き書に非ず]既に緒言の末尾において述べしごとくヨハネは神の経綸すなわち将来の歴史を支配する原理を霊的に啓示せられこれを表徴的に記せしものとすればヨハネはその原理を系統的に排列せるものと解しなければならぬ。而してヨハネは本書の読者が本書の内容を理解するものなることを前提としているのを見るも(1:2)、本書は一般に考えらるるごとく難解なるものにあらず、また意味不確定のものにあらず、極めて明瞭なる真理の記述であることを認めなければならない。
要義2 [何のために啓示を与え給いしや]単に未来に起るべき事実を示してその知識欲を満足せしめんとしたのではなく、神はその愛する者の躓かんことを憂いてその準備として未来のことどもを示し給うたのである。ゆえに未来の事件に心を奪わるることなく、これを示し給える神の愛の労苦を思うべきである。
                                           黒崎幸吉著 註解新約聖書 より引用